「別」の名字の由来 | |
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■ 別所(べっしょ)
【2023/05/22:改編】
# 1663位
# 全国に約10000人。
# 近畿地方を中心にみられる。
# 「別所」とは。
# 別所とは本来の荘園とは別に作られた新田や集落をさし、そこに住んだ人たちが別所を名乗った。
# 柳田邦男「地名の研究」によると、別所とは、荘園を開くときに、別勅によって追加開墾した所。
# また菊池山哉説によると、蝦夷を征服した際の捕虜を住まわせた場所という見解もある。
# 播磨国の戦国大名。赤松氏の庶流で、赤松則村(円心)の弟の円光の子の敦光が播磨国印南郡別所(兵庫県姫路市)に住んで別所氏を称したのが祖。室町時代には赤松氏に従い、則治は東播磨三郡の守護代をつとめた。戦国時代に赤松氏が没落すると、長治は三木城(兵庫県三木市)に拠って、東播磨八郡を支配した。天正5年(1577年)に織田信長に通じて豊臣秀吉に従ったが、翌年には離反して毛利氏方に通じ、天正8年に豊臣秀吉に敗れて自刃して嫡流は滅亡した。【出典】
# 主なルーツ地
・ 播磨国印南郡別所(兵庫県姫路市別所)をルーツとし、赤松氏の庶流。美濃の旗本、新井別所家や仙台藩士の別所家も同族。
# 別所の地名は青森から福岡にかけて広範囲にみられ、特に北陸から近畿、山陰にかけて多い。
# 兵庫県の別所家
# 俳優の別所哲也は静岡県島田市の出身。プロ野球の別所毅彦は兵庫県神戸市の出身。
# 別所(べっしょ): 長野県上田市別所温泉。地名の由来は「別院」「別墅(べつしよ)」(別荘)にあり、中世からここは信州における宗教・文化の中心地だり、温泉の効験と結びついた霊場地であったことによる。【出典】
# 別所長治(べっしょながはる): 左三つ巴紋【武将と家紋 インデックス編集部】
# 国衆(国人)
【2015/:04/04:改編】
# 1263位
# 全国に14600人【全国分布】
# 四国と九州に多くみられる。
# 別府は平安末期に成立した土地制度で、別符とも書く。新たに開墾された土地で国府によって認められたもの、あるいは荘園領主によって本来の郷とは別に開発された土地をいう。
# 長野県の別府家: 信濃国小県郡別府(長野県東御市)をルーツとする。【出典】
# 主なルーツ地
・ 武蔵国幡羅郡別符郷(埼玉県熊谷市別府)をルーツとし、成田氏の庶流。
・ 信濃国小県郡別府(長野県東御市)をルーツとする。
・ 土佐国高岡郡別府山荘をルーツとする。
・ 薩摩国加世田別府(鹿児島県南さつま市加世田)をルーツとし、桓武平氏良文流。
# 薩摩国加世田別府(鹿児島県南さつま市)の国人。桓武平氏良文流で、伊作良道の五男の忠明が加世田の下司となったのが祖。久安2年(1146年)頃に加世田に住んで柿本城に拠り、代々加世田別府を領した。南北朝時代は南朝に属した。応永27年(1420年)に九代目平五郎丸(忠頼)が若年であったことから島津久豊に攻められて落城。以後は島津氏に従って鹿児島に移った。【出典】
・ 伊作良道→別府忠明→信忠→忠光→忠能→資忠→忠隆→忠香→良忠→忠頼→景一→景頼。【出典】
# 主な別府の地名
■ 上別府(かみべっぷ)
【2022/01/05:新載】
# 鹿児島県から宮崎県にかけての名字。日向の戦国大名の伊東氏の家臣に上別府氏がいた。1541年に上別府常陸守が瀬平城に拠った。のちに清武城に拠った。【出典】
# 鹿児島県薩摩郡薩摩町では上位10位以内。【出典】
# 参考: 鹿児島県曽於市大隅町荒谷上別府(アラタニウエンビユウ)。日向国東臼杵郡上別府村(宮崎県日向市)。
# 「上」のつく名字
【2024/03/04:新載】
# 鹿児島県末吉町(現曽於市)の名字。【出典】
# 「上」のつく名字
# 「中」のつく名字
【2024/05/08:新載】
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