「姫路」の地名の由来
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■ 姫路(ひめじ): 兵庫県姫路市

・ 播磨国飾東(しきとう)郡。室町時代以降に「姫路」の表記がみられ、それ以前は姫道村の表記がみられる。

・ 古くは日女道丘といい、後に姫山という小山があった。南北朝時代に赤松氏が城を築き姫路城とよんだ。「ひめ」は皇后のこと。【出典

・ 「ひ(すき間)」+「め(接尾語)」+「ち(接尾語)」という地名か?不詳。【出典】 

・ 日女道: 奈良期に見える地名。播磨国飾磨(しかま)郡のうち。「風土記」に飾磨郡十六里の1つ伊和里のうちに「日女道丘」と見え、火明命が父大汝命の船を破壊沈没させた時、蚕子(ひめこ)が落ちた所を日女道丘と名付けたという。この日女道丘は姫路城天主閣のある姫山に比定される。【出典

# 姫路藩

# 姫路駅(ひめじえき): 兵庫県姫路市駅前町。JR西日本・山陽新幹線・山陽本線JR西日本・姫新線播但線

# 姫路(ひめじ): 播磨国風土記には、以下のような伝説がある。その昔、大汝命(おおなむちのみこと)の火明命(ほあかりのみこと)は強情で、行状も非常にたけだけしかった。そのため、父神は子供を棄てようと企んで、火明命が水を汲みに行った際に、船を出して逃げ去ったという。水を汲んで帰った火明命は怨み怒って風波を起こして船を打ち壊してしまった。その時、船の壊れた処を「船丘」、波が来た処を「波丘」、琴が落ちた処を「琴神丘」、箱が落ちた処を「箱丘」、梳匣(くしげ・櫛箱)が落ちた処を「匣丘(くしげをか)」、箕の落ちた処を「箕形の丘」、甕(みか)の落ちた処を「甕丘」、稲の落ちた処を「稲牟礼(いなむれ)の丘」、冑(かぶと)の落ちた処を「冑丘」、沈石(いかり)の落ちた処を「沈石丘」、葛(ふじ)の綱の落ちた処を「藤丘」、鹿の落ちた処を「鹿丘」、犬の落ちた処を「犬丘」、蚕子(ひめこ)が落ちた処を「日女道丘(ひめじのおか)」と呼んだ、という話である。この、最後に挙げられている「日女道丘」が「姫路」のルーツとされ、現在姫路城が建っている丘がかつての「日女道丘」で、「姫山」とも呼ばれた。【出典

■ 姫路(ひめじ): 鳥取県鳥取市気高町八束水姫路

・ 姫地とも書いた。文治年間安徳天皇を奉じて平家の武将官女が居住したことに由来すると言われる。

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