「熊谷」の地名の由来
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■ 熊谷(くまがや): 埼玉県熊谷市

・ 地名の由来には諸説があり、熊谷次郎直実の父直貞が人々を悩ましていた大熊を退治したことから起こったとする説や、「クマガヤ」は「クマケヤ(神谷)」の意で、高城明神の鎮座によって起こったとする説、あるいは「クマガヤ」は曲谷の意で、この地で荒川谷が大きく蛇行したことから起こったとする説などがある。【出典

・ 低湿地の地形に由来する。【出典】  

・ 江戸時代、熊谷は忍藩の領内。【武士の絵日記 幕末の暮らしと住まいの風景 大岡 敏昭 角川ソフィア文庫】

・ 熊谷駅(くまがやえき): JR東日本・高崎線

・ 熊谷: 平敦盛を討ち取ったことで無常を悟り、出家したのが、この地に勢力をもった熊谷直実。直実の父の直貞は、当地で熊退治をしたという伝承が残る。また、蛇行する荒川を指した「曲谷(くまがや)」が由来とも言う。【出典

# 熊谷(くまがや): 埼玉県熊谷市。幕末に出された「新編武蔵風土記稿」によると、この地に大熊があらわれて人々が困っていたところ、直貞という武将が退治したことから、「熊谷」が起こったとされる。直貞は、源平合戦で平敦盛を討ち取った熊谷直実の父。この地が熊退治で「熊谷」と命名されたことから、直貞は熊谷氏を称したという。【出典

# 熊谷(くまがや): 熊谷駅前に熊谷直実の像がある。幼少から弓の達人として知られ、後に坂東一の武将として名をはせた。熊退治として伝承に残るのは、この直実の父の熊谷直貞であたっという。直貞が熊退治をした事蹟が刻まれているのは、宮町一丁目の住宅地の一角にある「熊野社跡碑」である。伝承なので真偽は定かではないが、当時この地に熊が出没したという事実はあったのであろう。もともと「熊野」は神武東征時に熊を退治したことに由来するという説もあり、この熊谷も熊退治に由来するとも考えられる。この地に勢力を張った熊谷氏に因む地名であることは明白。地名学的には、「くま」は「隈」または「曲」と表記することが多い。「隈」は奥まった暗いところという意味だし、「曲」は川の「曲流」している部分を指すことが多い。近くを流れる「荒川」にちなんで「熊谷」になった可能性も否定できない。【出典

■ その他の「熊谷」の地名

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