伊達家
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■ 伊達家(だてけ): 「伊達」の名字の由来

# 陸奥国戦国大名藤原北家山蔭流。実宗が常陸国真壁郡伊佐荘中村(茨城県筑西市)に住んで伊佐氏を称し、文治5年(1189年)に朝宗が源頼朝の奥州合戦に従軍して信夫佐藤氏を討ったことから陸奥国伊達郡を賜り、二男の宗村とともに入部して伊達氏を称した。当初は、「いだて」とも呼んだ。以後、伊達郡の地頭になり、高子岡城(福島県伊達市保原町)に拠った。南北朝時代、行朝は南朝に属して各地を転戦、のちに北朝に転じ、出羽国の長井地方を支配。さらに亘理氏を従え大崎氏を討って、陸中地方にも進出した。室町時代には、鎌倉公方と敵対した。大永2年(1522年)に稙宗は陸奥国の守護になって梁川城(福島県伊達市梁川町)に転じ、晴宗のときに奥州探題になって米沢に転じた。政宗は二本松氏芦名氏を討ち、さらに大崎氏田村氏石川氏白河氏結城氏を従えて、出羽国・陸奥国の南部を支配した。天正18年(1590年)に豊臣秀吉に従って会津を没収され、翌年に陸奥国岩出山に転じ、陸奥二十郡を領した。関ヶ原の合戦では東軍に属して慶長6年(1601年)に仙台に転じ、江戸時代には仙台藩士。【出典

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