北海道内の「伊達」の名字の詳細
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■ 伊達(だて): 北海道の伊達家 

# 北海道の伊達家: 紋別の亘理伊達家。宮城県亘理の、亘理伊達家の子孫で、伊達稙宗の三男の実元を祖とする。江戸時代には先代藩の重臣として2万4350石を有した。明治維新後に、家臣をつれて北海道有珠郡紋別村(北海道伊達市)に移住した。

・ 宮城県亘理の伊達家の子孫。明治維新後に家臣を率いて北海道の伊達紋別(伊達市)に移り住んだ。【出典

・ 伊達市に入植した仙台藩主の一族の亘理伊達家伊達稙宗の三男の実元が祖。子の成実は1591年に伊具郡16郷を与えられて角田城に拠った。その後、成実は出奔したが、後に許され、1602年に亘理城で2万石を領した。成実の跡は伊達政宗の九男の宗実が継ぎ、後に2万4350医師となった。明治維新後、邦成(くにしげ)は旧臣を率いて北海道有珠郡紋別村(北海道伊達市)に移住し、その後男爵。【出典

# 北海道の伊達家: 石狩当別の岩出山伊達家伊達政宗の四男の宗泰を祖とする。明治維新後に北海道石狩郡当別(北海道当別町)に移住した。

・ 石狩当別に入植した仙台藩主の一族の岩出山伊達家伊達政宗の四男の宗泰が、1603年に玉造郡岩出山城(宮城県玉造郡岩出山)を与えられたのが祖。代々、弾正を称し、一門の中でも特に有力な一族であった。1691年に三代敏親が開設した有備館は著名。四代村泰は妻が冷泉家の出だったことからしばしば京都に赴き、竹林の造成に移入。これをもとにした竹細工を奨励して岩出山の名物とした。1871年に邦直の時に北海道石狩郡当別(北海道当別町)に移住した。その後男爵。【出典

# 北海道の伊達家: 松前のの豪商。陸奥国伊達郡貝田村(福島県伊達郡国見町)の出。 

・ 松前城下(松前町)の豪商。初代の林右衛門は陸奥国伊達郡貝田村(福島県)の出で、1788年に蝦夷地に渡り、1793年に江戸の両替商・本家伊達浅之助家の支援を受けて松前城下に「伊達屋」を開いた。1810年には栖原角兵衛と共同で樺太漁場を開き、幕府の蝦夷地御用達となった。1854年に三代目林右衛門は松前藩士となり、勘定奉行に抜擢された。明治維新後、五代目林右衛門は漁場を栖原家に譲渡して撤退した。【出典】 

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