北海道内の諸藩
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■ 松前藩(北海道松前郡松前町)

・ 「松前」の地名

・ 松前家3万石格・外様。

・ 1604年に徳川家康が松前藩に与えた「黒印状」によると、家康が松前藩に与えた権利は「松前氏に断りなく直接アイヌ民族と交易するのを禁じる」「松前氏に無断で渡海して交易するのを禁じる」の二つ。【江戸300藩の意外な「その後」 日本博学倶楽部 PHP研究所】

・ 松前藩(館藩): 蝦夷地。松前城。松前家。外様大名。3万石。文禄2年(1593年)立藩。控間:柳間格:城主位階:従五位下。上屋敷:台東区小島。文禄2年に、アイヌ民族との交易独占権を豊臣秀吉から公認された松前慶広が立藩した。関ヶ原の合戦後に、徳川家康からも交易の独占権を安堵された。蝦夷地では米の生産がなかったため、松前藩は無高(1万石高)だった。しかし、松前三湊と呼ばれる松前・江差・箱館からの交易で繁栄した。江戸時代後期には、ロシア船の出没や箱館開港などにより蝦夷地が幕府の直轄にされたことで陸奥国伊達郡梁川・出羽国村山郡東根にあわせて3万石を与えられた。戊辰戦争では、新政府側についたため、旧幕府軍の攻撃を受けて松前城下は被害を受けた。明治元年(1868年)に藩庁を松前から厚沢部村の館に藩庁をうつして、館藩になった。【出典


【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。

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