宮城県内の「伊達」の名字の詳細
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■ 伊達(だて): 宮城県の伊達家 

# 宮城県の伊達家: 仙台藩主藤原北家の山蔭流。【家紋:】明治時代には伯爵

・ 仙台藩主。戦国大名伊達氏の子孫。伊達政宗関ヶ原の合戦では東軍に属し、1601年に仙台に移り、1603年には仙台藩60万5000石を立藩した。後に2万石を加増。四代綱村は2歳で跡を継いだことから一門の伊達兵部宗勝が後見人として藩政を専制。やがて一門の伊達安芸宗重の争いがおこり、1671年に大老の酒井忠清邸での取り調べの際に、同席した原田甲斐が突如宗重を惨殺、甲斐も殺され、宗勝も土佐藩に預けられた。五代吉村は藩政を改革、余剰米を江戸に回漕して巨利をあげ、中興の祖と言われる。幕末、慶邦は奥羽列藩同盟に参加して敗れ、1868年に28万石に減知、慶邦は蟄居謹慎となった。1884年には伯爵宇和島藩主の宗城の二男で慶邦の養子となった宗教は1884年に分家して一家を興し、その後男爵。一門に亘理伊達家岩出山伊達家、宮床伊達家、川崎伊達家などがある。【出典

# 宮城県の伊達家: 伊達家一門の宮床(みやとこ)伊達家。伊達朝宗の六男の実綱が祖。陸奥国伊達郡伊達崎(福島県伊達郡桑折町)を領して、後に田手氏を称した。永正年間に伊具郡に所領を持ち、代々角田城に拠って伊達本家の重臣となった。【出典】 

# 宮城県の伊達家: 陸奥の戦国大名藤原北家山蔭流。実宗が常陸国真壁郡伊佐荘中村(茨城県筑西市)に住んで、伊佐氏を称し、文治5年(1189年)に伊佐朝宗が源頼朝の奥州合戦に従って信夫佐藤氏を討った功により陸奥国伊達郡を賜って伊達氏を称した。当初は「いだて」とも読んだ。その後、本拠地を出羽国米沢、陸奥国岩出山、陸奥国仙台と移り、関ヶ原の戦いでは東軍に属し、江戸時代には仙台藩60万5千石。【出典

・ 亘理伊達家: 伊達稙宗の三男の実元を祖とする。明治維新後に北海道有珠郡に移り住んだ。【出典

・ 宮床伊達氏: 伊達朝宗の六男の実綱を祖とする。後に田手氏を称し伊達宗家の重臣となった。江戸時代に宗家の宗房が継いで伊達氏に復姓した。【出典

# 宮城県の伊達家: 伊達家一門の岩谷堂伊達家。【出典】 

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