「石川」の名字の由来
参考資料・文献 利用上の注意
名字の由来のTop 地名の由来のTop
名字と地名のMenu 「あ」行の名字
「川・河」のつく名字 地形姓
スポンサーリンク
スポンサーリンク

■ 石川(いしかわ)

【2022/01/11:改編】

# 26位【第一生命ランキング

# 第28位 約44万人【明治安田生命ランキング2008

# 第28位 約43万人【明治安田生命ランキング2013

# 第27位 約43万人【明治安田生命ランキング2018

# 桓武平氏大掾氏流、河内源氏などに見られる。

# 代表家紋

# 関東に下った河内源氏の本流である義親(よしちか)に代わって本拠地の河内国を治めたことに始まる一族で石川という地名由来。

# 地名姓で、河内国石川郡(大阪府羽曳野市)発祥の石川氏や、陸奥国石川郡(福島県)の石川氏(ともに清和源氏の出)が有名だが、この他にも各地の石川地名をルーツとする一族がある。【出典

# 現在は、沖縄県も含めた全国にまんべんなくみられ、全国32都道府県で上位100位入っているが、比較的東日本に多く見られる。【出典

# 地名姓で、各地の石川が発祥でルーツは不明。

# 古代豪族の蘇我氏は大化の改新で中大兄皇子(後の天智天皇)らによって滅ぼされたが、わずかに残った一族が、その後、石川氏に改姓した。この石川の由来は、大和国の石川に因むとも、河内国の石川郡に因むとも言う。【出典

# 河内国石川郡からは、清和源氏の石川氏も出ている。上野国山田郡で500石を知行した石川氏はこの末裔。また、太田市内ヶ島の旧家の石川家もこの末裔と伝える。戦国時代には小田原の北条氏に仕え、江戸時代には帰農して内ヶ島村の名主を務めた。【出典

# 河内の石川氏は清和源氏で、源義家の子の義時の子の義基が河内国石川郡石川荘(大阪府羽曳野市)を領して石川氏を名乗り、子孫は三河国に移り松平氏に従い、江戸時代には伊勢国亀山藩6万石。分家も常陸国下館藩2万石。

# 陸奥の石川氏は陸奥国石川郡(福島県石川郡石川町)をルーツとする清和源氏満快流。江戸時代伊達家の重臣(筆頭家老?)で陸奥国角田(宮城県角田市)で2万1千石。

# 陸奥国石川城(青森県)をルーツとする石川氏は三戸南部氏の一族。

# 常陸の石川氏は常陸国吉田郡石川(茨城県水戸市元石川町)をルーツとし桓武平氏大掾氏流。鎌倉時代には御家人、戦国時代には江戸氏の家臣。

# 古代豪族の石川氏は、蘇我馬子の孫で、大化改新で伯父の蝦夷と従兄弟の入鹿を滅ぼす功績をあげた蘇我倉山田石川麿の子孫で大和国高市郡石川(奈良県橿原市石川町)をルーツとする。

# 古代豪族の石川氏は、物部氏流蘇我氏流がいる。

# 武蔵の石川氏は武蔵国都筑郡石川(神奈川県横浜市)をルーツとする石川氏は武蔵七党の一つの横山党。

# 丹後国与謝郡石川(京都府与謝郡与謝野町)をルーツとする。

# 石川姓で有名なのは、蘇我氏の一族の石川氏だがそのルーツは大和国石川と河内国石川郡と両説有り明確でない。

# 関東地方を中心に東日本に多く、沖縄県発祥の石川もある。

# 石川から派生した名字には「平賀」「小山」などがある。

# 歴史的には、当初は徳川家康の家臣だったが、小牧長久手の合戦の後に徳川家の出奔して豊臣秀吉の家臣となった「石川数正」が有名。

# 秀吉の時代に木曽谷の森林管理を受け持った石川貞清は、関ヶ原の戦いでは西軍に属し除封。

# 石川頼明の兄の一光は賤ヶ岳の七本槍の一人。丹波で1万2千石を領した頼明は関ヶ原の戦いで西軍に属して敗れて切腹。

# 岩手県の石川家: 陸奥国胆沢郡佐倉河(岩手県奥州市)の豪農。仁平2年(1152年)に源義朝から石見国石川村(島根県)を賜り石川氏を称した。後に鎌倉幕府御家人になり、天文年間葛西氏の家臣として功をあげ、陸奥国磐井郡松川村(岩手県一関市東山町)を領した。葛西氏の没落後に帰農した。【出典

# 宮城県の石川家: 仙台藩家老陸奥国石川郡(福島県石川郡石川町)をルーツとし、清和源氏の満快流で源有光が源義家に従って石川荘に移り住み、石川氏を称した。後に伊達家に仕え、伊具郡角田(宮城県角田市)で2万1千石を領した。【出典

・ 仙台藩の一門。旧戦国大名。清和源氏満快流で、有光が源義家に従って石川荘に移り石川氏を称したのが祖。鎌倉時代には地頭を務めていた。建武新政の際には新田義貞に従って鎌倉攻めに参加、南北朝時代には北朝に属し、伊達氏、田村氏と争った。室町時代には結城氏の影響下にあり、1590年に昭光のときに小田原に赴かなかったため、豊臣秀吉に所領を没収された。昭光は以後、伊達政宗に仕え、江戸時代には仙台藩の重臣となって、陸奥国伊具郡角田(宮城県角田市)で2万1000石を領した。家格は一門。【出典

# 福島県の石川家: 耶麻郡野沢本町(福島県西会津郡野沢)の旧家。酒造業を営み肝煎を努めた。出典

# 茨城県の石川家: 常陸国吉田郡石川(茨城県水戸市石川町)をルーツとし、桓武平氏大掾氏の一族。鎌倉時代は幕府の御家人で、その後は江戸氏に従う。【出典

# 茨城県の石川家: 下館藩主石川家は、河内国石川郡石川荘(大阪府羽曳野市)をルーツとし、清和源氏の出。

・ 下館藩(茨城県筑西市)藩主。1651年に近江国膳所藩主の石川忠総の二男の総長が伊勢国河曲・鈴鹿両郡で1万石を分知され伊勢国神戸藩を立てたのが祖。総長は1660年に大坂定番として河内国石川・古市両郡で1万石を加増され2万石へ。1732年に常陸国下館2万石へ。明治時代には子爵。【出典

# 群馬県の石川家: 伊勢崎市連取の旧家で、連取村の名主を務めた。【出典

# 三重県の石川家: 伊勢国亀山藩主河内国石川郡石川荘(大阪府羽曳野市)をルーツとし清和源氏の出。源義家の子の義時が石川氏を称した。政康のときに三河国小河城(愛知県東浦町)に転じ、松平氏に仕えた。石川数正が有名。【出典

・ 亀山藩主。河内源氏の石川氏の末裔と伝える。石川康通は徳川家康に仕えて上総国の鳴渡(千葉県山武市)で2万石を領し、1601年に美濃国大垣藩5万石を立てた。忠総は1616年に1万石を加増されて豊後国日田に転じ、さらに1633年に下総国佐倉7万石へ、1634年には近江国膳所7万石へ。1651年に忠総の遺領を相続する際、憲之は5万石を継いで伊勢国亀山に転じ、総長が1万石、貞当が7000石、総氏が3000石を継いだ。その後も1669年に山城国淀6万石、1711年に総慶が備中松山を経て、1744年に伊勢国亀山藩6万石に入封した。明治時代には子爵。【出典

# 大泥棒の石川五右衛門の出身は伊賀国遠江国河内国丹後国などの諸説。詩人の石川啄木は岩手県盛岡市の出身。作家の石川達三は秋田県横手市の出身。歌手の石川さゆりは熊本県熊本市の出身。歌手の石川優子は大阪府大東市の出身。歌手の石川ひとみは愛知県あま市の出身。歌手の石川秀美は愛知県瀬戸市の出身。ゴルフの石川遼は埼玉県の出身。

【石川】【出典

# 福島県の石川氏: 陸奥国石川郡の国衆清和源氏満快流で源有光が源義家に従って陸奥国石川郡石川荘に住んで石川氏を称した。鎌倉時代には地頭を務め、南北朝時代には北朝に属した。石川昭光は豊臣秀吉の小田原征伐の際に出陣しなかったので取りつぶされた。昭光は後に伊達家に仕え、江戸時代には仙台藩の重臣として陸奥国伊具郡角田(宮城県角田市)で2万1千石。

# 愛知県の石川氏: 三河国碧海郡の国衆で、河内国石川郡石川荘(大阪府羽曳野市)をルーツとし、清和源氏の出。源義家の子の義時が石川氏を称した。後に三河国に転じて、徳川家康に仕えたのが石川数正。数正はその後、家康の元を離れ、秀吉に仕え信州松本8万石を領したが大久保長安事件に連座して改易。一族の康通は家康に仕えて上総鳴渡(千葉県山武市)で2万石を領し、後には美濃国の大垣藩5万石を経て伊勢国の亀山藩主となる。下館藩主石川家は分家。

# 茨城県の石川氏: 常陸国大掾氏庶流で、常陸国茨城郡石川(茨城県水戸市元石川町)をルーツとする。吉田盛幹の二男の家幹が祖。江戸時代には水戸藩士

# 京都府の石川氏: 丹後国与謝郡の国衆で丹後国与謝郡石川(京都府与謝郡与謝野町石川)をルーツとする。

# 愛媛県の石川氏: 伊予国の東予地方の国衆

■ 石川【出典

# 蘇我氏、清和源氏の石川氏が有名。

# 河内の石川氏は武内_宿禰の第三子の蘇我石川宿禰の子孫。

# 清和源氏の石川氏は二流

1 八幡太郎義家の曾孫の義兼が河内国石川郡に住んで石川氏を称した。このうち、三河に移り住んだ石川氏から徳川家普代の石川氏が出た。

2 清和源氏の多田満仲の流れの石川氏は福島県石川地方に由来する。この支流は美濃の地頭となり、石河(いしこ)を称した。

【一個人 2013年12月号】

# 石川(27位)

・ 河内国の石川氏は河内国石川郡をルーツとし、蘇我氏族の倉山田石川麻呂が本拠とし、子孫は石川氏を称した。この一族は後に加賀国に転じ、石川県の名前の由来となす。

・ 河内国の石川氏は河内国石川郡をルーツとし、清和源氏義家流もある。徳川家康の家臣の石川家はこの系統といわれる。

・ 陸奥国の石川氏は陸奥国白河郡石川郷をルーツとし、坂上氏流。

・ 陸奥国の石川氏は陸奥国白河郡石川郷をルーツとし、清和源氏頼親流もある。

# 石川家

# 亀山藩 ・ 下館藩

# 国衆(国人)

都道府県毎の名字の特徴 名字の様々な区分
難読名字 難読地名・珍地名
地名と災害 名字の博物館
名字と地名・都道府県編 民俗学の広場内の検索

■ このサイトで使用している「名字の順位」「全国の概算数」「都道府県毎の順位」などについてはこちらを御覧下さい。詳細】 

統計表示