河内国 | |
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# 旧畿内。
# 現在の大阪府中部。
# 太閤検地での石高: 24万石。【戦国大名県別国盗り物語 八幡和郎 PHP文庫】
# 延喜式による国力順位(納税額による)【本当は面白い「日本中世史」 八幡和郎】。河内国は50位。
# 河内国: 淀川の内側を意味する。
・ 河内国は7〜8世紀に、河内国、摂津国、和泉国に分割された。
# 河内国: 河内国は八幡太郎義家や源頼朝などの河内源氏の故郷。鎌倉時代には北条氏の領地だったが後に畠山氏の支配地となった。
■ 安宿(あすかべ)郡
# 尾張郷(おわりのごう): 平安時代に河内国安宿(あすかべ)郡にみられた郷名。奈良期には「中ノ郷」と呼ばれていたとする説がある。「新撰姓氏録」河内国皇別に「尾張部。彦八井耳命之後也」とあり、郷名の由来は、尾張氏が居住していたことによると推定される。【出典】
■ 志紀郡(しき): 旧河内国。「和名抄」の訓は「之岐」。「古事記」景行天皇条には「志幾」、天平19年2月11日の法隆寺伽藍縁起并流記資財帳には「志貴」と作る。大阪府の東部に位置する。【出典】
# 長野郷: 河内国志紀郡八郷の1つ。現在の大阪府藤井寺市周辺。
■ 錦部郡(にしごり)
# 長野郷: 河内国錦部郡。現在の大阪府河内長野市。
■ 茨田郡(まった): 大阪府大阪市鶴見区茨田(まった)に名を残す。古代より河内国にみられた郡名。「和名抄」の訓は「万牟多」。【出典】
# 幡多郷: 大阪府寝屋川市。奈良時代から平安時代にかけて、河内国茨田(まつた)郡にみられた郷名。「古事記」仁徳天皇条に「秦人を役ちて茨田堤及茨田三宅を作り」と見え、「新撰姓氏録」河内国諸蕃に「秦人 秦宿禰同祖 弓月王之後也」とある渡来人の秦氏が居住していたと推定される。【出典】
# 茨田郷(まったのごう): 奈良時代から平安時代にかけて、河内国茨田郡にみられた郷名で「万牟多」とも訓む。当地は、淀川本流とその南流にはさまれた淀川の氾濫地帯にあたり、茨田堤が造営されたにもかかわらず、常に氾濫に脅かされた低湿地であった。【出典】
# 続日本紀・文武天皇3年(699年): 3月9日: 河内国が白鳩を献じた。「河内国錦郷郡の1年間の田祖を免除せよ」と詔があった。
# 続日本紀・大宝元年(701年): 8月26日: 高安城を廃止し、その建物や種々の貯蔵物を、大倭・河内の二国に移貯した。諸国に命じて衛士(えじ)を増徴し、衛門府に配属した。