「田村」の名字の由来 | |
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■ 田村(たむら)
【2023/01/24:改編】
# 54位
# 第55位 約28万人【明治安田生命ランキング2008】
# 第55位 約29万人【明治安田生命ランキング2013】
# 第53位 約29万人【明治安田生命ランキング2018】
# 全国順位(森岡浩ランキング): 54位
・ 全国密度順位(森岡浩ランキング): 群馬県 > 高知県 > 山口県
・ 全国人口順位(森岡浩ランキング): 東京都 > 北海道 > 群馬県
# 代表家紋
# 「田のある村」を意味する名字。
・ 水田の多い村に住んでいた、またはそり曲がった土地や川の曲流地に住んでいた人。そして坂上田村麻呂を祀った田村神社のそばに住んでいたことに由来する。【道産子のルーツ事典 岸本良信 中西出版】
# 田村(たむら): 淡路国津名郡の国人。郡家城(兵庫県淡路市郡家)に拠り、室町時代には淡路を代表する土豪の一つで三好氏に属した。1582年に豊臣秀吉に敗れて滅亡した。【出典】
# 陸奥国田村郡(福島県)発祥の田村氏が有名で、伊達政宗の正室の愛姫(めごひめ)は田村家の出で、「田村御前」と呼ばれた。この田村氏は坂上田村麻呂の子孫とされる。
# 東北地方と関東地方、四国地方に多く特に群馬県北部や岩手県岩手郡、山口県北部、高知県中部に多くみられる。
# 陸奥の田村氏は陸奥国田村郡(福島県)をルーツとする。
# 古代豪族の田村氏は山城国葛野郡田村(京都府京都市)をルーツとし、渡来人(高句麗)の末裔。
# 武蔵の田村氏は武蔵国多摩郡田村(東京都日野市)をルーツとし、武蔵七党の西党の一つ。
# 武蔵国田村(東京都日野市)、淡路国(兵庫県)発祥の田村氏もある。
# 岩手県の田村家
# 福島県の田村家
# 群馬県の田村家
# 新潟県の田村家
# 富山県の田村家
# 石川県の田村家
# 静岡県の田村家
# 兵庫県の田村家
# 俳優の田村正和は京都府京都市の出身。随筆家の田村隆一は東京都豊島区の出身。
# 第二次安倍内閣の田村憲久(厚生労働大臣)は三重県松阪市の出身。
# 田村家(たむらけ): 家紋「田村茗荷紋」
・ 陸奥国田村郡三春(福島県三春町)を本拠地とした。
・ 坂上田村麻呂の末裔。伊達政宗の正室の愛姫は田村家の出だが、小田原の陣に参陣せず改易となった。その後、伊達政宗の孫が田村氏を称し一関藩主。【戦国大名「御家」系譜事典 宝島社 監修:森岡浩】
【一個人 2013年12月号】
# 田村(54位)
・ 関東地方から新潟県に多く、群馬県や高知県に多い。
【苗字の謎が面白いほどわかる本 丹羽基二】より
# 「田村」は「田のある村」を意味する。
# 山城国葛野郡田邑郷をルーツとする田村臣は高麗系の渡来人で高田首の後裔。
# 大和国添上郡田村をルーツとする田村村主は坂上氏の一族。
# 陸奥国田村郡をルーツとする倭漢氏族の坂上氏流の田村氏は坂上田村麻呂の後裔。
# 武蔵国多摩郡田村をルーツとする田村氏は、武蔵七党の西党の出。
# その他、武内宿禰の子の羽田矢代宿禰の後裔、羽多朝臣の後裔の秦氏の出などがある。
# 関連姓氏: 多務良、多村、多武良、太村、段村、田邑、田邨。
【知って楽しい「苗字」のウンチク 丹羽基二 PHP文庫】
# 田村: 坂上田村麻呂の子孫を称する奥州の田村氏、武内宿禰の子孫を称する北九州の田村氏、藤原北家の中御門の庶流の讃岐国の田村氏、日奉氏の庶流の武蔵七党の西党の田村氏などがみられる。
# 古代豪族の田村氏
# 「田村」の地名
# 一関藩
# 国衆(国人)
# 「田」のつく名字。
【2024/05/08:新載】
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