讃岐国 | |
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# 旧南海道。
# 現在の香川県。
# 太閤検地での石高: 13万石。【戦国大名県別国盗り物語 八幡和郎 PHP文庫】
# 延喜式による国力順位(納税額による)【本当は面白い「日本中世史」 八幡和郎】。讃岐国は14位。
# 古くは、狭貫・佐貫・佐奴岐・佐奴吉とも書いた。
# 讃岐の由来は、昔、朝廷へ調として矛竿を納めたところから竿調(さおつき)国と称したことによるとも言われ、また狭貫とも書いたところから東西に細長い地形によるとも言われる。
・ 「砂貫(いさぬき)」が「さぬき」になったという。
# 守護代: 東部は安富氏、西部は香川氏。また国人の有力者に香西氏がいた。
・ 狭貫・佐貫・佐奴岐・佐奴吉とも書き、讃州とも略称される。現在の香川県。国名の由来は、往古朝廷へ調として矛竿を納めたところから竿調(さおつき)国と称したことにちなむとも、狭貫とも書いたところから東西に細長い地形によるともされる。【出典】
・ 讃岐の主要な古代豪族は、東讃の凡直、中讃の綾公、西讃の佐伯直である。
・ 天正13年の豊臣秀吉の四国平定により、長宗我部元親軍が去ったあとの当国には、仙石秀久が入部したが(うち十河存保に1万石が与えられた)、同15年秀吉の島津氏征討における豊後国戸次川合戦での敗退により、秀吉に所領を取り上げられ、代わって尾藤知宣に当国が与えられた。【出典】
■ 鵜足郡(うた): 古代より讃岐国にみられた郡名。古くは「うたり」とも称し、宇足・宇達・鵜垂とも書いた。郡名の由来は、当郡栗熊の酒部黒丸の屋敷に水がなくて困っていたところ、ある時鵜鳥が数十羽集まって地を掘ると清泉が湧き出たことから、「鵜にて事足れり」という意によるという。また、「美合村勝浦鵜足明神」によるという説などもある。【出典】
■ 寒川郡(さんがわ): 香川県。古代より讃岐国にみられた郡名で、寒河とも書く。郡名の由来は、当郡内の石田東原にある清泉を寒川ということによるという。【出典】
■ 三木郡(みき): 香川県木田郡
・ 古代より讃岐国(香川県)にみられる郡名。御城郡・美貴郡とも書く。郡名は当郡にあった※の大木・柊の古木・山椒の大樹の三大木に由来するという。【出典】
・ 武例郷: 奈良時代から平安時代にかけて、讃岐国三木郡にみられた郷名。
# 続日本紀・文武天皇元年(697年): 閏12月7日: 播磨・備前・備中・周防・淡路・阿波・讃岐・伊予などの国に飢饉がおきたので、食料を与えた。また負税(出拳で借りた稲の返済すべき分)の取り立てをやめさせた。
# 続日本紀・大宝元年(701年): 8月21日: 参河(みかわ)・遠江・相模・近江・信濃・越前・佐度・但馬・伯耆・出雲・備前・安芸・周防・長門・紀伊・讃岐・伊予の十七カ国にイナゴの発生があり、大風が吹き人民の家屋が損壊し、秋の収穫に被害が出た。