豊後国
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# 旧西海道。

# 現在の大分県の南部

# 太閤検地での石高: 42万石。【戦国大名県別国盗り物語 八幡和郎 PHP文庫】

# 延喜式による国力順位(納税額による)【本当は面白い「日本中世史」 八幡和郎】。豊後国は25位。

# 古代表記: 豊(とよ)の国 → 豊前・豊後

# 702年の豊前国戸籍帳によると、秦部(はたべ)、塔勝(とうのすぐり)、調勝(ちょうのすぐり)といった渡来人が見られる。【福岡県謎解き散歩 新人物文庫 より】

# 豊後国(大分県)日田には、江戸時代に西国郡代という、幕府の九州統治の代官所がおかれた。

■ 玖珠郡(くす): 古代より豊後国(大分県)にみられる郡名。大宰府木簡には「久須評」とあり、「豊後国風土記」には玖珠、天平9年の「豊後国正税帳」「延喜式」「和名抄」は球珠、「拾芥抄」は救珠、「清原通房退文」に求珠、中世文書には球珠・玖珠を交用するが、室町期以後は概ね玖珠の字を用いる。洪樟樹があり、郡名となったという。【出典

■ 国東郡(くにさき): 大分県。景行天皇が周防の佐婆津(さばのつ・上の関)から出港された時、この国を覧て「国の崎なるかも」といい国崎郡と名づけたという。【出典

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# 続日本紀文武天皇2年(698年): 9月28日: 近江国に金青(こんじょう・紺青とも書き、青色の顔料)を献上させた。伊勢国には、朱沙(すさ)・雄黄(ゆうおう)、常陸・備前・伊予・日向の四国には朱沙(すさ)、安芸・長門の二国には金青(こんじょう)・緑青(ろくしょう)、豊後国には真朱(まそほ)を献上させた。(いずれも顔料)

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