「香川」の名字の由来
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■ 香川(かがわ)

【2022/10/26:改編】

# 代表家紋

# 香川県に多くみられ、特に善通寺市に多い。

# 神奈川県の香川駅周辺の地名による。桓武平氏の出で、室町時代に讃岐国に転じた。【出典

# 相模国高座郡香川(神奈川県茅ヶ崎市香川)をルーツとし、桓武平氏の出で、後に各地に広まった。

# 承久の乱の後に、香川経景が安芸国佐東郡八木(広島県安佐南区佐東町)の地頭となって下向した。

# 讃岐の香川氏は桓武平氏鎌倉氏庶流で若狭の香川氏も同族。

# 安芸国佐東郡の国人桓武平氏鎌倉氏の一族だが、系譜は各種あり不詳。経高が相模国高座郡香川荘(神奈川県茅ヶ崎市香川)に住んで香川氏を称したのが祖。鎌倉幕府御家人になり、承久の乱の功績で安芸国と讃岐国に所領を持った。安芸香川氏は経景が安芸国佐東郡八木村(広島県広島市安佐南区佐東町)、義景が安芸国山県郡谷戸村の地頭になったのが祖。景光のときに下向して八木城を築き、室町時代には国人として活動した。1404年の安芸国人一揆には、之正が名を連ねている。応仁の乱では方景が守護の武田国信に属して東軍に与した。戦国時代も初めは安芸国の武田氏に仕えていたが、1534年に光景が毛利氏に転じた。春継は吉川元春に属し、江戸時代には岩国藩家老になった。松屋城(山県郡北広島町)に拠った戸谷香川氏は一族で、関ヶ原の合戦の後には帰農した。【出典

# 讃岐国の戦国大名。安芸国の香川氏の一族。景則のときに讃岐国に転じ、室町時代には細川京兆家に仕えて讃岐国の守護代になった。室町時代末期に細川京兆家が衰退すると、香川氏は戦国大名に発展、天霧城(香川県善通寺市)に拠って讃岐西部を支配した。信景は1552年に毛利元就に通じたが、1558年に三好義賢が帰国すると三好氏に降った。1576年に織田信長に通じ、1578年に長宗我部元親の讃岐侵攻に際しては、元親の二男の親和を女婿として迎え、1581年には家督を譲った。1585年には豊臣秀吉の四国攻めで改易となり、親和は土佐国に戻った。【出典

# 若狭国遠敷郡の鳥羽谷麻生野城(福井県三方上中郡若狭町)城主。若狭国の守護武田氏は安芸武田氏の一族で、若狭香川氏も安芸香川氏の一族と思われる。代々、若狭武田氏に仕え、元亀年間には香川右衛門大夫が鳥羽谷を支配して、のちに織田信長にに従った。【出典

# 香川県の香川家 

# 山口県の香川家

# 香川家(かがわけ): 家紋「九曜巴紋

・ 讃岐国多度郡多度津(香川県仲多郡多度津町)を本拠地とした。

・ 鎌倉景政を祖とし、相模国香川荘に住んで香川氏を称した。南北朝時代に讃岐国に転じ、守護代をつとめた。一時は讃岐国の西半分を領したが、豊臣秀吉の四国平定によって改易された。【戦国大名「御家」系譜事典 宝島社 監修:森岡浩】

# 国衆(国人)

# 「川」のつく名字

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