「安富」の名字の由来
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■ 安富(やすとみ)

【2019/09/30:新載】

# 各地に見られるが、山梨県や香川県に多く見られる。

# 讃岐の安富氏は紀氏の出といわれる。室町時代後期には讃岐半国の守護代を務め、後に豊臣秀吉に仕えた。【出典

# 石見の安富氏は石見国美濃郡安富(島根県益田市安富町)をルーツとし、周布氏の一族。【出典

# 細川家家宰。元家は細川政元の家宰をつとめ、1491年に政元が近江国の守護を兼ねると、その下で近江国の守護代をつとめた。1492年には、政元の命で河内国の畠山政長を滅ぼした。その後、政元の養子の澄元・澄之による細川家の内訌で没落した。【出典

# 讃岐国の東部の戦国大名紀姓という。照之が足利尊氏に従って1239年に播磨国三ヶ月郷(兵庫県)を賜り、応安年間の頃に細川頼之に従って讃岐国三木郡に入部した。室町時代後期には、讃岐国の東半分の守護代をつとめた。永禄年間に山城守盛長のときに、寒川氏から寒川郡の一部を割譲された。1540年に盛方は寒川氏の寒川郡に侵攻。1570年に盛定は寒川氏から大内郡を奪った。1583年に長宗我部元親が東讃岐に侵攻してくると、盛定は小豆島に逃れ、のちに豊臣秀吉に仕えた。【出典

# 肥前国高来郡の国人文永年間に引付奉行の安富泰嗣が高来郡深江村の地頭になり、子の頼泰が入部したのが祖。戦国時代には深江城(長崎県南島原市深江町)に拠って有馬氏に属していたが、1578年に純治は龍造寺隆信に仕えた。1584年に、純治は有家で討ち死。子の純泰は肥前国藤津郡に転じて深江氏と改称江戸時代には佐賀藩士。【出典

# 香川県の安富家

# 「安」のつく名字

# 「富」のつく名字。   

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