「有馬」の名字の由来
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■ 有馬(ありま)

【2019/01/30:改編】

# 代表家紋: 左三つ巴紋(村上源氏の有馬家)【日本人なら知っておきたい 家紋と名家のいわれ 大野敏明 実業之日本社】

# 地名姓。

# 鹿児島県の特に鹿児島市周辺に多い。

# 肥前国の有馬氏は肥前国高来郡有馬荘(長崎県南島原市)をルーツとし、藤原北家秀郷流で藤原純友の子孫と言われるが、肥前藤津荘の荘司だった平氏の末裔らしい。鎌倉時代に平経澄が有馬荘の地頭となって有馬氏を称した。戦国時代には豊臣秀吉に従い、関ヶ原の戦いでは東軍に属して本領を安堵された。しかし、慶長17年(1612年)に岡本大八事件で甲斐に流された。その子の直純は徳川家康の縁戚であったので、相続を許されのちに越前国の丸岡藩5万石。明治維新には子爵

# 摂津国の有馬氏は摂津国有馬郡有馬荘(兵庫県神戸市兵庫区)をルーツとし、赤松氏の一族。豊臣秀吉に仕え、後に筑後久留米藩主(21万石)。【家紋:右三つ巴紋】明治維新後は伯爵
・ 下野国の吹上藩の有馬家(1万石)は分家。

# 薩摩の有馬氏は肥前国高来郡有馬荘(長崎県南島原市)をルーツとするが、清和源氏足利氏の支流。

# 紀伊の有馬氏は紀伊国牟婁郡有馬(三重県熊野市)をルーツとする。平安時代に新宮の榎本氏の一族が有馬に住んで有馬氏を称した。

# 栃木県の有馬家: 下野国吹上藩主摂津国有馬家と同族で、久留米藩主の有馬家の分家。【出典】 

# 福井県の有馬家: 丸岡城主の有馬家は島原のキリシタン大名の有馬家の子孫。 この有馬家は赤松氏の一族で有馬温泉に由来する。  

# 福岡県の有馬家: 筑後国久留米藩(21万石)主。有馬頼寧は昭和時代に農林大臣をつとめ、日本中央競馬会の理事長も務めた。有馬記念レースはこれに由来する。

・ 久留米藩主有馬家赤松氏の一族で、兵庫県の有馬温泉の出。関ヶ原の戦いの後に有馬豊氏は福知山城主、有馬則頼は摂津三田城主。豊氏の子の忠頼は大阪の陣の功により久留米21万石。

・ 村上源氏赤松氏の支流。播磨出身の有馬則頼が豊臣秀吉の近臣として仕え大名となった。【出典

・ 久留米藩主摂津国有馬郡有馬荘(兵庫県神戸市兵庫区)をルーツとし、赤松氏の一族。赤松義祐が有馬荘の地頭となり有馬氏を称した。豊臣秀吉の時代に播磨国三木に転じ、関ヶ原の合戦では有馬則頼が東軍に属し摂津国三田2万石。則頼の子の豊か氏は豊臣秀次の家老の渡瀬家に仕えていたが、渡瀬家が失脚後、遺領の遠江国横須賀3万石を継ぎ、関ヶ原の戦いの後には丹波国福知山6万石に転じ、後に久留米21万石。明治維新後は伯爵

# 福岡県の有馬家: 久留米藩家老。もとは梶氏。一度断絶したが、一族が再興し豊前家を称した。  

# 長崎県の有馬家: 肥前国高来郡有間荘(長崎県南島原市)をルーツとする。藤原北家秀郷流。【出典】  

# 久留米藩 ・ 吹上藩 ・ 丸岡藩

# 有馬家

# 国衆(国人)

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