長崎県内の「有馬」の名字の詳細
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■ 有馬(ありま): 長崎県の有馬家 

# 長崎県の有馬家: 肥前国高来郡有間荘(長崎県南島原市)をルーツとする。藤原北家秀郷流。【出典

・ 肥前国の戦国大名寛政譜では藤原北家秀郷流で藤原純友の子孫を称すが不詳。「長秋記」にみえる肥前藤津荘の庄司の平清澄・直澄の末裔とみられる。鎌倉時代に経澄が肥前国高来郡有馬荘(長崎県南島原市)の地頭となって有馬氏を称したのが祖で、南北朝時代には南朝に属し、戦国時代には晴純は高来・藤津・杵島の三郡を支配して全盛期を迎えた。義貞の頃から龍造寺氏が台頭して圧迫され、1576年には藤津郡で敗北して藤津・杵島両郡を失い、龍造寺氏と和睦した。1583年に晴信は龍造寺方の安富純治を攻めて島津氏に援軍を請い、翌年島津氏とともに島原で龍造寺氏を破っている。1587年の豊臣秀吉の九州入りで秀吉に従い、高来郡4万石を安堵された。晴信は関ヶ原の戦いでは東軍に属して本領を安堵されたが、1612年の岡本大八事件で甲斐に流された。子の直純は家康の養女を妻としていた関係で相続を許され、子孫は越前丸岡藩主となった。【出典】 

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