久留米藩 | |
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■ 久留米藩(くるめはん): 福岡県久留米市
・ 「久留米」の地名。
・ 有馬家21万石・外様
・ 有馬左近衛少将
・ 1620年に入封。
・ 赤松家の分流で有馬温泉で有名な播磨の出身の有馬氏が関ヶ原の合戦後久留米に移封。筑後国柳井郡(久留米市)21万石。昭和30年に、当主が日本中央競馬会の第二代理事長に就任。競馬の「有馬記念」の生みの親となる。
・ 有馬頼※(よりゆき): 筑後国久留米藩の七代藩主。享年70歳。従四位左近衛少将。1714年に久留米城で、六代藩主の則維(のりふさ)の四男として生まれた。兄たちが幼くして亡くなったので藩主を嗣いだ。算術にたけて、専門書を出すほどであったという。十代のころから、幕臣の山路主住から算術の指南をうけた。ちなみに円周率は30桁まで算出したとか。日本に中国から算術が伝わったのは飛鳥時代 。
・ 東京都港区三田一丁目に筑後久留米21万石の有馬中務大輔の上屋敷があった。以前はこの廷内に水天宮があったが、今は日本橋に移った。【江戸東京地名辞典 芸能・落語編 北村一夫】
・ 1799年に久留米藩に生まれた「からくり儀右衛門」こと田中久重は、べっこう職人の子。東京に出た田中久重は田中工場を設立。田中工場は田中製作所を経て、芝浦製作所となった。「東芝」の前身。【江戸300藩の意外な「その後」 日本博学倶楽部 PHP研究所】
# 久留米藩(くるめはん): 筑後国。久留米城。有馬家。外様大名。21万石。控間:大広間。格:国主。位階:従四位下。上屋敷:港区三田。天正15年に、毛利秀包が入封して立藩したが、関ヶ原の合戦で除封。その後、柳川藩領を経て、元和6年の有馬豊氏が入封。以後は、有馬家が十一代続いた。【出典】
【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。