「かのう」の名字の由来
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■ 加納(かのう)

【2021/02/13:改編】

# 代表家紋

# 追加開墾を認められた荘園を加納田といった。

# 愛知県から岐阜県南部に多くみられる。

# 上総国一宮藩主の加納家は、三河国加茂郡加納村(愛知県豊田市加納町)をルーツとする。

# 陸奥の加納氏は陸奥国耶麻郡加納荘(福島県喜多方市熱塩加納)をルーツとし、桓武平氏芦名氏の出。

# 千葉県の加納家: 上総国一宮藩主三河国加茂郡加納村(愛知県豊田市加納町)をルーツとし、松平氏の一族。

・ 上総国の一宮藩(1万3千石)の加納家。八代将軍吉宗のおもり役の加納久通の家系。  

・ 上総一宮藩主。三河国加茂郡加納村(愛知県豊田市加納町)をルーツとする。松平氏の一族という。久直の時に徳川家康に仕え、子の久利は紀州藩士となった。久通のとき、将軍となった徳川吉宗に従って幕臣に列して伊勢と上総に所領を賜り、1726年に伊勢八田藩1万石を立藩。1796年に上野国で3000石を加増され、1798年に上総一宮に陣屋を移した。明治時代には子爵。【出典

# 東京都の加納家: 江戸時代に将軍家の葛西にあった鷹場の綱差役を務めた加納家があった。伊勢国飯野郡西野々村(三重県松坂市)の出で、徳川吉宗によって西小松川(江戸川区)に呼ばれ、加納の姓をった。西野々村は当時は紀州藩領だったのでその縁でしょうね。

# 愛知県の加納家: 元々は松平姓だが、家康に仕えるときに恐れ多いとのことで地元の三河国加茂郡加納村(愛知県豊川市)の名をとって加納氏を称した。紀州藩士から吉宗について幕臣となり、1726年に伊勢東阿倉川1万石。後に上総一宮1万3千石。  

# 加納(かのう)の地名

■ 狩野(かりの・かのう)

【2022/04/20:改編】

# 576位

# 892位【出典

# 代表家紋

# 藤原南家工藤流などに見られる。

# 代表家紋: 丸に二つ引両紋。【あなたの起源を読み解く 名字の世界 インデックス編集部 イースト新書Q】

# 語源は「刈野」で、草木を焼き払って開拓した畑、焼き畑からきている。

# 全国的には、藤原南家で伊豆国田方郡狩野荘(静岡県伊豆市)をルーツとする伊豆狩野氏の末裔と伝える家が多い。【出典

# 群馬県を中心に、関東地方から静岡県にかけて多く見られる。読み方には、「かのう」の他に、「かの」「かりの」も多いが、群馬県では「かのう」読みが94%近くを占める。次いで、「かりの」「かの」の順。54位は「かのう」読みの順位。【出典

# 群馬県、宮城県などに多く見られる。

# なお、群馬県に次いで「狩野」の名字が多い宮城県では、「かりの」と「かの」がほとんどで、「かのう」と読むのはわずか1%にすぎないほか、北海道でも「かりの」が過半数を占める。【出典

# 群馬県:43位、宮城県:69位、島根県:156位 〜山形県:376位、千葉県:445位など。

# 各地にみられるが、大半は伊豆狩野氏の出。

# 一般的には「かのう」と読むが、宮城県では「かの」又は「かりの」と読むことが多く「かのう」読みはほとんど無い。また北海道でも「かりの」が過半数を占める。

# 駿河の狩野氏は伊豆の狩野氏の支流。

# 加賀の狩野氏も同族。

# 陸奥の狩野氏も同族。

# 上野の狩野氏は上野国拝志荘狩野々(群馬県渋川市赤城町)をルーツとする。

# 相模の狩野氏は相模国狩野荘(神奈川県南足柄市)をルーツとする。

# 伊豆国田方郡狩野荘に由来し、藤原南家の流れをくむ藤原為憲(ためのり)の孫、維景この地に土着して狩野姓を名乗ったのが始まり。
※ 伊豆で狩野と言えば、鮎で有名な「狩野川」。それと、日本画の「狩野派」がありますね。あぁ、タレントの狩野(かのう)英孝もいるね。確か実家は宮城県の神社だったかな。

# 伊豆国の有力豪族で、牧草地を有して良質な馬を育てたので伊豆国最大の勢力をなした。後に宮城県の一迫(いちはざま)川周辺に領地を得たが豊臣秀吉の時代に没落した。

# 安土桃山時代の絵師の狩野永徳は京都の出身。タレントの狩野英孝は宮城県栗原市の出身。

# 工藤伊東と同族。

# 石川県の狩野家: 江戸時代に、能登国鳳至郡宇出津村(石川県能登町)で十村役を務めた。【出典

# 石川県の狩野家: 能登国珠洲郡馬緤村(石川県)で肝煎を務めた。【出典

# 京都府の狩野(かのう)家: 絵師の京狩野家。狩野永徳の門人の山楽が祖。

・ 絵師。伊豆狩野氏の子孫と言うが、始祖の狩野正信以前は不明。室町時代後期に正信が幕府の御用絵師となり狩野派を開いた。子の元信は大和絵の技法も取り入れ、狩野派の基礎を築いた。桃山時代になると、永徳が織田信長・豊臣秀吉の庇護の下で活躍、長男の光信、弟子の山楽と共に狩野派は一世を風靡した。徳に永徳の「洛中洛外図屏風」は傑作として名高い。秀吉の死後は永徳の二男孝信が一族を統率、江戸時代になると孝信の子の探幽(たんゆう)、尚信、安信が幕府の奥絵師となり、それぞれ鍛冶橋狩野・木挽町狩野・中橋狩野の三家の祖となった。後に木挽町家から浜町家が独立して、四家が奥絵師をつとめた。以後、将軍にもお目見えできる奥絵師を頂点に、十五家の表絵師、さらに町人相手の町絵師のピラミッド型構造で絵師の世界を支配した。この他、駿河台家、山下家、御徒町家など、多くの分家がある。【出典

# 和歌山県の狩野家: 紀州藩の御用絵師。狩野光信の弟子の興似の長男の興甫を祖とする。 

# 熊本県の狩野(かのう)家: 絵師で肥後の狩野家。祖の三輪丹波守は丹波国の窪田城主だったが、明智光秀に敗れ、子の善助は細川忠興に仕え窪田五助と称した。その子孫が京の狩野派に学び絵師となり狩野氏を称した。

【狩野】【出典

# 静岡県の狩野氏: 伊豆国田方郡の国人藤原南家。藤原為憲の孫の維景が伊豆国田方郡狩野荘(静岡県伊豆市)に住んで狩野氏を称した。宇佐美氏や河津氏は支流。北条早雲の伊豆入部に抵抗して嫡流は滅亡した。駿河の狩野氏はこの支流で、室町時代には今川氏に属した。

# 宮城県の狩野氏: 陸奥国栗原郡の国人で伊豆の狩野氏の一族。奥州合戦で功を成した狩野行光の子の為祐が陸奥国栗原郡一迫刈敷郷・板崎郷(宮城県栗原市志波姫)の地頭となり、後に大崎氏に従い宗家は一迫氏を称した。江戸時代仙台藩士

■ 叶野(かの)

【2016/12/10:改編】

# 9621位

# 全国に約820人【全国分布

# 藤原氏などにみられる。

# 山形県や茨城県に多くみられる。

# 山形県:683位(約200人)。

# 「加納」「狩野」と起源は同じ。

# 山形県の叶野(かの)家: 東田川郡東堀越村(山形県鶴岡市東堀越)の豪農で信濃国の出と言われる。

# 一宮藩

■ 叶(かのう)

【2013/12/12:改編】

# 全国にみられ、特に鹿児島県の奄美地方に多くみられる。「加納」や「狩野」から変化したものと言われている。

# 「叶」の漢字の持つ意味

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