慶長三陸沖地震
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■ 1611年の慶長三陸沖地震

・ 慶長16年10月28日(1611年)。岩手県三陸沖を震源とするM8.1の地震。揺れによる被害は少なかったが津波被害が多かったとされる。相馬領では700人、仙台領では1700人の溺死者をだした。

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・ まずはじめに慶長年間に三陸という表現はあったのだろうか?まぁいいけど(笑)

・ 東日本大震災と同じ海溝型地震でM8.1とも9とも言われる。

・ 2012年に国の産業技術総合研究所の発表では、北海道の根室、十勝沖を震源とするM8.9と推計。

・ 福島県の相馬中村城が破損、岩手県宮古市の田浦村海浜には20mを越す大津波が押し寄せた。

・ 記録に残る死者は仙台藩で1783人、津軽藩南部藩で人馬合わせて3千余、相馬中村藩では700。松前藩の資料では、蝦夷地でも多数のアイヌがなくなった。

・ 慶長三陸沖地震の8年後、肥後八代地震がおきた。八代の麦島城が倒壊し、死者も多数出た。肥後八代地震は活断層の内陸型地震でM6以上で震度6または7と推定される。

・ 肥後八代地震の同じ日に大分県竹田市の岡城が損壊した。6年後には熊本城が損壊する地震がおこり、さらに広島県や愛媛県でも地震が発生した。さらに8年後神奈川県の小田原で大地震があり100〜150人の死者が出た。 

# 慶長三陸地震津波

・ 慶長16年(1611年)10月28日午前10時頃

・ 津波は三陸沿岸から北海道東岸に押し寄せ、津波の高さは、田老や大船渡で最高20mと推定される。

・ 仙台藩の領内では死者1783人。他に、南部藩や津軽藩でも多数の死者。

・ 仙台藩の津波被害地では、10年経過しても米の収穫ができなかった。

・ 「駿府記」に記載された「津波」の語句が、日本語の文献に表れた最古の「津波」表現と言われる。

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