宮城県内の「国分」の名字の詳細 | |
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■ 国分(こくぶん): 宮城県の国分(こくぶん)家
# 宮城県の国分(こくぶん)家: 仙台藩士で信濃国国分荘(長野県)の出。国分氏の祖の政信は1336年に小笠原氏に敗れ、奥州に移り住んで伊達氏に仕え、出羽国置賜郡長井荘(山形県長井市)に領地を賜った。陸奥国宮城郡の国分(こくぶ)氏とは別系統。
#宮城県の国分(こくぶん)家: 陸奥国宮城郡の国人。桓武平氏の千葉氏の一族で千葉常胤の五男の胤通を祖とすると言われるが不詳。戦国時代には伊達家に仕えていたが伊達政宗の怒りをかって滅亡。その後は佐竹家に仕え江戸時代には秋田藩士。【出典】
# 国分(こくぶん): 陸奥国宮城郡の国衆。桓武平氏の出で、千葉常胤の五男の胤通を祖とするというが不詳。「余目記録」では藤原姓で下野国の長沼氏の一族という。さらに、戦国時代に伊達晴宗の五男の盛重が継いで以降は、伊達氏の一族になった。戦国時代には千代城(仙台城)に拠っていたが、慶長元年(1596年)に盛重が伊達政宗の怒りを買って国分を退去、陸奥国の国分氏は滅亡した。盛重はその後、常陸国の佐竹義宣に仕え、佐竹氏の転封に従って、江戸時代には秋田に転じた。【出典】
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