秋田県内の諸藩 | |
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■ 秋田新田藩(秋田県湯沢市)
・ 「湯沢」の地名
・ 佐竹家2万石・陣屋。
・ 1701年に久保田藩から分家。
・ 「秋田」の地名
・ 佐竹家20万5千石・外様。
・ 佐竹右京大夫
・ 秋田家が関ヶ原の戦いで西軍に属したため転じ、江戸時代には佐竹家が入った。
・ 佐竹義敦
・ 佐竹家の祖は源八幡太郎義家の弟の義光。その後常陸国佐竹郷に定着し佐竹氏を名乗る。関ヶ原の合戦で「どっちつかず」の姿勢をとったため、出羽久保田に移封。出羽国秋田郡(秋田市)20万5000石。
・ 幕末に、秋田藩は当初幕府側にあったが、官軍が優勢になったため奥羽越列藩同盟からの使者を惨殺するなどして官軍派につく意思決定をした。その後、秋田藩は奥羽越列藩と戦い、これらの奥羽戦争での死者は、庄内藩322人、長岡藩309人、米沢藩283人、盛岡藩112人、秋田藩361人。【江戸300藩の意外な「その後」 日本博学倶楽部 PHP研究所】
# 秋田藩士(久保田藩士): 赤尾津家 ・ 荒川家 ・ 石神家 ・ 今宮家 ・ 梅津家 ・ 宇留野家 ・ 大高家 ・ 小田野家 ・ 小野岡家 ・ 小野崎家 ・ 小野寺家 ・ 小場家 ・ 小室家 ・ 塩谷家 ・ 渋江家 ・ 介川家 ・ 須田家 ・ 多賀谷家 ・ 伊達家 ・ 寺崎家 ・ 戸村家 ・ 那珂家 ・ 根本家 ・ 蓮沼家 ・ 匹田家 ・ 藤井家 ・ 古内家 ・ 真壁家 ・ 真崎家 ・ 松野家 ・ 向家家 ・ 茂木家 ・ 矢田野家
# 久保田藩(くぼたはん): 出羽国。久保田城。佐竹家。外様大名。20万5000石。慶長7年(1602年)立藩。控間:大広間。格:城主。位階:従四位下。上屋敷:台東区台東。関ヶ原の合戦で徳川家康に与しなかった佐竹家が、常陸国水戸から転封して立藩した。戊辰戦争では新政府軍に属した。【出典】
■ 亀田藩(かめだはん): 秋田県由利本荘市
・ 「亀田」地名
・ 岩城家2万石・外様。
・ 1623年に入封。
# 亀田藩(かめだはん): 出羽国。亀田陣屋。岩城家。外様大名。2万石。元和9年(1623年)立藩。控間:柳間。格:城主格。位階:従五位下。上屋敷:千代田区飯田橋。大坂の陣の後、関ヶ原の合戦で改易されていた佐竹氏の一門の岩城吉隆が大名に復帰して、信濃国の中村に入封して再興した。その後、出羽国の最上家の改易後に亀田に転じて立藩した。【出典】
■ 久保田新田藩(くぼたしんでんはん)
# 出羽国。岩崎陣屋。佐竹家。外様大名。元禄14年(1701年)立藩。控間:柳間。格:城主。位階:従五位下。上屋敷:台東区浅草橋。久保田藩主の佐竹義処が甥の義都に新田の1万石を分知して立藩した。義都の子の義堅が久保田藩の佐竹義峯の養子となったことにより、1万石を返上して廃藩になった。岩崎藩ともいう。【出典】
# 出羽国。塩越城。仁賀保家。外様大名。1万石。仁賀保挙誠が大坂の陣の功績で旧領に立藩した。遺領が男子四人に分割されて廃藩になった。【出典】
・ 「本荘」の地名
・ 六郷家2万石・外様。
・ 鎌倉幕府の重鎮だった二階堂氏の一族が、秋田県の横手地方の六郷荘園の地頭となり六郷氏を称した。
・ 出羽本庄藩の上屋敷は浅草にあった。【江戸東京地名辞典 芸能・落語編 北村一夫】
# 本荘藩士: 滝沢家
# 本荘藩(ほんじょうはん): 出羽国。本荘城。六郷家。外様大名。2万石。元和9年(1623年)立藩。控間:柳間。格:無城。位階:従五位下。上屋敷:台東区東上野。出羽国の山形藩の最上家が改易されたのちの元和9年に、六郷政乗が入封した。以来、六郷家が十一代続いて、廃藩置県に至った。【出典】
# 出羽国。矢島陣屋。生駒家。外様大名。1万石。寛永17年(1640年)に、お家騒動で改易になった讃岐国の高松藩主の生駒高俊が1万石を賜って立藩した。【出典】
# 矢島藩士: 小番家
【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。