宮城県内の「熊谷」の名字の詳細 | |
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■ 県内19位: 熊谷(くまがい)
# 宮城県の熊谷家: 熊谷直宗は鎌倉時代のはじめに、赤岩城(宮城県気仙沼市)を本拠とし、勢力を拡大した。室町時代には葛西氏に従い、戦国時代には伊達家の家臣。江戸時代には仙台藩士。
# 宮城県の熊谷氏: 陸奥国気仙地方の国人で武蔵国大里郡熊谷郷(埼玉県熊谷市)をルーツとし、桓武平氏の出。平維方の二男の盛方の子の直貞が京から武蔵国熊谷に逃れて熊谷氏を称した。気仙沼の熊谷氏は文治5年(1189年)直国の弟の直宗が下向して赤岩城(宮城県気仙沼市)に拠ったのが祖。葛西氏に従い、葛西氏が滅亡後には伊達氏に仕え、江戸時代には仙台藩士。気仙地方には他の系統の熊谷氏もみられ、桓武平氏の葛西氏の庶流で千葉重隆が母方の姓をとって熊谷氏を称したという。【出典】
# 熊谷(くまがい): 陸奥国気仙郡の国衆。文治5年(1189年)に直国の弟の直宗が下向して赤岩城(宮城県気仙沼市松川)に拠ったのが祖。応安5年(1372年)直政のときに葛西氏に従った。多くの一族が分かれ、気仙郡に勢力を広げた。天文2年(1533年)には宗家の赤岩城主の熊谷直景と、実弟の長崎城主の直光の内訌が起こり、葛西氏の支援を得た直光が直景を討って嫡流になった。しかし、天正6年(1578年)には長崎城主の直良が月館城主の直澄に敗れた。直澄の甥の直長は伊達政宗に仕え、江戸時代には仙台藩士。【出典】
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