「葛西」の名字の由来
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■ 葛西(かさい)

【2021/01/25:改編】

# 566位

# 桓武平氏清和源氏などに見られる。

# 代表家紋

# 福島県、宮城県、岩手県、青森県など東北地方の太平洋側に多く見られ、青森県つがる市の旧森田村では最多姓だった。

# 戦国時代には陸奥国北部の有力大名だったが、豊臣秀吉の東北平定に抵抗して滅亡した。【出典

# 岩手県の葛西氏: 陸奥国の戦国大名。桓武平氏の出。豊島清光の三男清重が下総国葛西郡葛西御厨(東京都葛飾区・江戸川区付近)を領して葛西三郎を称したのが祖。1180年の源頼朝の挙兵の際に、清重は父の豊島清光と共に従って、奥州攻めの功績で、陸奥国に広大な所領を与えられ奥州惣奉行に任ぜられた。清重はその後鎌倉に戻り、和田合戦などで鎌倉幕府の重鎮として活躍した。鎌倉時代には、本家は下総国に住んでいたが、四代の清隆の頃に奥州に移り住んだとみられる。元弘の乱の際に清宗(宗清)は幕府軍として上洛したが、後に後醍醐天皇方に転じ、南北朝時代には日和山城に拠って南朝の北畠顕家に従った。その子の清貞は石巻城に拠り、以後奥州葛西氏が本家となった。室町時代には陸奥国北部の有力大名となり、多くの庶子家を輩出した。また、寺池城を本拠として、牡鹿・登米・本吉・磐井・胆沢・江刺・気仙の葛西七郡を支配した。しかし、1590年の豊臣秀吉の小田原攻めに参陣しなかったため、所領は没収、晴信は佐沼城に拠って秀吉に抵抗したが、伊達政宗によって討たれて滅亡した。【出典

# 青森県:12位、北海道:132位、岩手県:264位、宮城県:454位、三重県:495位など。

# 全国では566位(約36800人)の名字だが、青森県(12位約12000人)と約1/3は青森県に分布する。

# 主なルーツ地

・ 下総国葛西郡葛西御厨(東京都葛飾区・江戸川区付近)をルーツとする。

# 下総国葛西郡葛西御厨(東京都葛飾区・江戸川区付近)をルーツとする桓武平氏で、源頼朝に従って奥州征伐後は奥州総奉行となり陸奥国に勢力を延ばし、後の奥州葛西氏の祖となった。

# 鎌倉時代の葛西氏は宮城県石巻市あたりを本拠地としたが、戦国時代には登米郡を本拠地とした。

# 宮城県の葛西家: 下総国葛西をルーツとする。桓武平氏の出で、源頼朝の奥州遠征に従って手柄をたて、伊沢留守)家とともに奥州惣奉行を務めた。葛西家の本家は、豊臣秀吉の奥州遠征に抵抗し滅亡した。【出典】 

# スキージャンプの葛西紀明は北海道上川郡下川町出身。

# 葛西家(かさいけ): 家紋「三つ柏紋」
・ 陸奥国登米郡登米(宮城県登米市)を本拠地とした。
・ 桓武平氏の豊島氏の一族で、下総国葛西郡葛西荘をルーツとする。奥州合戦の功で、奥州総奉行を命じられた。16代の晴信は天正18年(1590年)の小田原の陣に参戦せず、所領を没収された。【戦国大名「御家」系譜事典 宝島社 監修:森岡浩】

# 「クズ・クジ・グジョ」の語源

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