「朽木」の名字の由来
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■ 朽木(くつき)

【2021/03/03:改編】

# 4650位

# 宇多源氏佐々木流、清和源氏などにみられる。

# 代表家紋

# 東北地方から関東地方にかけて多くみられる。

# 岩手県:719位、福島県:861位、〜山形県:1415位など。

# 佐々木氏の次男高信は近江国高島郡(滋賀県高島市)に移り住んだが、その子の義綱が近江国高島郡朽木庄(滋賀県高島市)に居住したのが由来。

# 越中の朽木氏、仙台藩士朽木家も同族。

# 朽木から派生した名字には、「横山」「田中」などがある。

# 滋賀県の朽木家: 佐々木氏の一族で、近江国朽木谷を本拠とした。関ヶ原の戦いでは小早川秀秋の裏切りに呼応して東軍についたが、9千5百石に減らされた。後に常陸土浦3万石。そして丹波国の福知山藩主となる。

# 京都府の朽木家: 丹波国福知山藩主宇多源氏佐々木氏庶流

・ 丹波福知山藩主。近江国高島郡の戦国大名の朽木氏の子孫。宇多源氏佐々木氏の一族。1570年に織田信長が越前の朝倉氏を攻めた際に、浅井長政の離反で窮地に陥った際に信長を助け、以後は信長に仕えた。信長の死後は豊臣秀吉に仕えて朽木で2万5000石を領した。元綱の三男の稙綱は徳川家光に仕えて累進し、1636年に下野鹿沼藩1万石を立藩。1649年に常陸土浦3万石に転じた。その子の稙昌は1669年に丹波福知山3万2000石に転封。九代藩主昌綱は前野良沢に学び、地理学書「泰西興地図説」を著すなど、蘭学大名として知られた。明治時代には子爵。【出典

# 熊本県の朽木家

# 朽木谷(くつきだに): 滋賀県の高島郡西南部にあり、安曇(あど)川の上流域を占める谷。狭義には安曇川本流に沿う谷あいの一部、花折断層の断層谷で、朽木村大字栃生(とちう)から荒川(あらかわ)に至る間の土地の人々が川筋と呼ぶ地域。谷名の由来について「高島郡誌」は「朽木は今はクツ木と称すれども古歌にはクチ木とあり。クツ・クチの意は朽にはあらずして古事記に木神久々能智神とある久々と同語なるべく、即ち、樹木繁茂の地なる意味なるべし。クヽがタ行に通いてクツ又はクチとなりしなり」と記す。【出典
※ たしか、織田信長が朝倉攻めの際に、後方から浅井家に攻められ、撤退するときに使ったのがこの朽木谷沿いの道ではなかったかなぁ?しかし、「朽木荘」をみると、この地は京と北国を結ぶ重要ルートとなっているが、浅井家はどうしてこの道をふさがなかったんだ?

# 朽木荘(くつきのしょう): 滋賀県(旧近江国)。朽木荘の地頭近江源氏の佐々木氏である。朽木氏の地頭職は、承久の乱で佐々木信綱が宇治川の先陣争いの勲功として拝領したもの。その後、朽木氏の祖といわれる高信・頼綱・義綱と伝領され、永仁7年に久多(くた)荘地頭と争い(朽木文書)、文保年間の葛川(かつらがわ)との境相論などを経て、朽木氏は地頭支配を確立した。朽木荘は京都と北国とを連結する重要な位置にあり、室町期には幕府の料所に指定され、朽木氏自身が幕府の親兵的存在になっている。朽木氏は文明の頃に荘内の村々に領主倉を置き、城下の市場に米を集中することを避け、村々惣中に米を貸与して高利をとり、これを倉に蓄積した。【出典

# 朽木(くつぎ): 岡山県。吉野川右岸林野山東側の氾濫原沖積平地に位置する。往古からしばしば洪水の被害があった。地名の由来は樹木の腐朽したものが土中から出土したことによるという。【出典

■ 朽木家

■ 朽木昌綱

■ 福知山藩

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