滋賀県内の「朽木」の名字の詳細 | |
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■ 朽木(くつき): 滋賀県の朽木家
# 滋賀県の朽木家: 佐々木氏の一族で、近江国朽木谷を本拠とした。関ヶ原の戦いでは小早川秀秋の裏切りに呼応して東軍についたが、9千5百石に減らされた。後に常陸土浦3万石。そして丹波国の福知山藩主となる。
# 近江国高島郡の国衆。宇多源氏の佐々木氏族。高島信綱が承久の乱の恩賞として朽木荘(滋賀県高島市)の地頭になって、孫の義綱のときに朽木荘に転じて朽木氏を称した。朽木谷は若狭国と京を結ぶ交通の要所でもあり、ここを本拠として鎌倉時代には十二カ国十六カ所に所領を持った。享禄元年(1528年)に稙綱は三好元長の京都侵攻で追われた将軍の足利義晴を朽木谷に迎えたことから、以後は将軍の奉公衆になった。天文20年(1551年)には晴綱が、三好長慶に京から追放された将軍の足利義輝を迎え、永禄元年(1558年)まで庇護した。戦国時代に、元綱は浅井氏に従っていたが、元亀元年(1570年)に織田信長が越前国の朝倉氏を攻めた際に、浅井長政の離反で窮地に陥った信長を助け、以後は信長に仕えた。江戸時代には交代寄合になって、元綱の三男の稙綱の子孫は丹波国の福知山藩主になった。【出典】
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