日向国
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# 旧西海道。

# 現在の宮崎県

# 太閤検地での石高: 12万石。【戦国大名県別国盗り物語 八幡和郎 PHP文庫】

# 延喜式による国力順位(納税額による)【本当は面白い「日本中世史」 八幡和郎】。日向国は53位。

# 日向は「ひむか」で太陽のあたるよい国。

# 古代語で東のことを「ひむかし」と言った。これがつまって、「ひかし」→東、「ひむか」→日向、となった。

■ 日向の国号
・ 日向の国の風土記にいう。纒向の日代の宮に天の下をお治めになった大足彦天皇の世に、児湯の郡に行幸されて丹裳(にも)の小野にお遊びになった。左右の人に仰せられて、「この国の地形はまっすぐ扶桑(の国・東方国)の方に向かっている。日向(ひむか)と名づけるがよい」といった。【出典

■ 高日の村: 日向国宮崎郡高日村(宮崎県児湯郡高鍋町)
・ 先師が申されるには、風土記を考えると、日向の国の宮崎の郡。高日の村。昔天よりお降りになった神が、御剣の柄をここに置いた。それで剣柄(たかひ)の村といった。後の人は改めて高日に村という。云々。【出典

■ 知鋪(ちほ)の郷: 日向国臼杵郡智保郷(宮崎県西臼杵郡日之影町)
・ 日向の国の風土記にいう。臼杵の郡の内、知鋪の郷。天津彦彦火瓊瓊杵尊が天の磐座(いわくら)を離れ、天の八重雲を押し分けて稜威(いつ)の道別道別て(威風堂々と)日向の高千穂の二上の峰に天降りなされた。時に天は暗く夜昼もわかれず人は通るすべもなく、物の色も判然としなかった。ここに土蜘蛛で名を大鉗(くは)・小鉗なるものが二人いて、皇孫(すめみま)の尊に申し上げるには「あなた様の小手をもって、稲を千穂を抜いて籾とし、四方に投げ散らしになさるならば、かならず明るくなるでしょう」といった。そこで大鉗らが申したように千穂の稲をもんで籾として投げ散らし給うたので、たちどころに天は晴れ、日月は照り輝いた。それで高千穂の二上の峰といった。後の人は改めて知鋪と名づけた。【出典


# 続日本紀文武天皇2年(698年): 9月28日: 近江国に金青(こんじょう・紺青とも書き、青色の顔料)を献上させた。伊勢国には、朱沙(すさ)・雄黄(ゆうおう)、常陸・備前・伊予・日向の四国には朱沙(すさ)、安芸・長門の二国には金青(こんじょう)・緑青(ろくしょう)、豊後国には真朱(まそほ)を献上させた。(いずれも顔料)

# 続日本紀文武天皇3年(699年): 12月4日: 大宰府に命じて、三野(日向国)・稲積(大隅国)の二城を築かせた。

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