最上義光
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■ 最上義光(もがみよしあき)【出典】: 「最上」の名字の由来
・ 1546−1614年。享年69歳(病死)。
・ 出身地: 出羽国。
・ 肩書き: 武将。
・ 家族: 妹:義姫。
・ 家紋: 丸に二つ引き紋。
・ 出羽国山形城主で、初代山形藩主。妹の義姫は伊達輝宗の妻。弟との家督争いがこじれ、輝宗が介入するなど5年にもおよぶ内乱が続いた。和議が成立した後には、領土を拡大して1584年には山形盆地をほぼ掌握した。義光は謀略に長けて、勢力を拡大する甥の伊達政宗と拮抗しながら庄内地方にも勢力を拡大した。大崎家が伊達家を攻撃した際にはこれを支援して、いったんは勝利したが、妹の義姫が両軍対峙する中間に自分の駕籠を置いて、停戦を懇願したため退却した。豊臣秀吉の天下統一後には、小田原攻めに参陣して領土の安定化を図ったが、のちに徳川家康に近づいた。関ヶ原の合戦では東軍に属して上杉家の直江兼続と戦った。
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