上杉家 | |
【参考資料・文献】 | 【利用上の注意】 |
名字の由来のTop | 地名の由来のTop |
名字と地名のMenu | 「家」のTop |
スポンサーリンク |
スポンサーリンク |
■ 上杉家(うえすぎけ): 「上杉」の名字の由来
# 丹波国何鹿郡上杉荘(京都府綾部市上杉町)をルーツとする。
# 藤原北家の勧修寺高藤の子の清房が鎌倉に下向し上杉荘を領したのに由来する。
# 上杉家: 家紋「上杉笹紋」。藤原北家勧修寺流。宗尊親王の鎌倉下向に供奉し、丹波国上杉庄を与えられて武家となった重房を祖とする。【戦国大名「御家」系譜事典 宝島社 監修:森岡浩】
・ 山内家は1363年に憲顕が関東管領となり、1379年に憲方が鎌倉山内に住んだのに由来する。
・ 1558年に憲政が越後守護代の長尾景虎の許に行き、名跡を景虎に譲り滅亡した。
・ 宅間家は、鎌倉宅間(鎌倉市浄明寺)に住んだのに由来する。
・ 後に没落する。
・ 犬懸家は憲藤が鎌倉犬懸(鎌倉市浄明寺)に住んだのに由来する。
・ 1417年に滅亡。
・ 扇谷家は重顕が鎌倉扇谷(鎌倉市扇ケ谷)に住んだのに由来する。
・ 1561年に越後守護代を務めていた長尾景虎が、山内上杉氏の名跡を継いだ。
・ 支藩に米沢新田藩の上杉家がある。
# 上杉鷹山
# 上杉家の家紋
# 上杉景勝は会津や置賜、庄内、佐渡を中心に120万石を領した。上杉景勝の正室の菊姫の弟の武田信清は上杉家の高家筆頭として待遇された。【「系図」を知ると日本史の謎が解ける 八幡和郎 青春出版社】