直江兼続
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■ 直江兼続(なおえかねつぐ)【出典

・ 「直江」の名字の由来

・ 1560−1619年。享年60歳(病死)。

・ 出身地: 越後国(新潟県)

・ 肩書き: 武将

・ 家族: 父:樋口兼豊

・ 家紋: 三つ盛り亀甲に花菱

・ 越後国の上田長尾氏の重臣の樋口兼豊の長男で、幼名は「与六(よろく)」。上杉謙信の養子の上杉景勝に取り立てられた。22歳の時に上杉家の重臣の直江景綱の娘と結婚し、直江家を継いだ。1598年に米沢城主(山形県米沢市)になって30万石を領した。豊臣秀吉の朝鮮出兵では上杉景勝とともに文禄の役で渡海し、前線で従軍した。秀吉の死後には、景勝に従って豊臣方について、徳川家康に直江状という挑戦状を送った。関ヶ原の合戦では、福島方面で東軍の伊達政宗と、山形では最上義光と戦ったが、東軍の勝利の報をうけて国に戻った。戦後、上杉120万石は米沢30万石に減封、しかし兼続は家臣を見捨てることなく、希望する者は米沢へ伴った。


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