「山名」の名字の由来
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■ 山名(やまな)

【2021/03/05:改編】

# 1768位

# 清和源氏新田氏流、藤原氏秀郷流大江氏などにみられる。

# 代表家紋

# 山名氏: 二つ引両紋。上野国山名をルーツとする。支流には「安中」「隠岐」「三上」「清水」などがある。【あなたの起源を読み解く 名字の世界 インデックス編集部 イースト新書Q】

# 兵庫県を中心に関西地方から中国地方にかけて多くみられる。

# 鳥取県:385位、和歌山県:556位、兵庫県:568位、岡山県:726位、京都府:763位など。

# 上野国多胡郡山名村(群馬県高崎市山名)をルーツとする山名氏は清和源氏新田氏流。山名政氏の家紋

# 新田氏の八代目の義貞の三男の義範(よしのり)が上野国多胡郡山名村に移り住んだのに由来する。

# 山名から派生した名字には、「安中」「隠岐」「三上」「清水」などがある。

# 山名氏
・ 新田義重の子の義範が上野国多胡郡山名(群馬県高崎市山名町)に住んで山名氏を称した。義範は源頼朝の挙兵に応じた。その後、足利尊氏の命で、出雲国の守護から丹波国の守護に転じた。そして、戦国時代末期に豊臣秀吉によって宗家は滅ぼされた。山名豊国は豊臣秀吉に仕え、関ヶ原の合戦では東軍に属し、江戸時代には但馬国七美郡で6700石の交代寄合。【出典

# 兵庫県の山名家: 但馬国の村岡藩主。守護大名の山名氏の末裔。  

・ 村岡藩(兵庫県香美町)藩主。守護大名の山名氏の末裔。鳥取城を追放された山名豊国は、1582年に豊臣秀吉に仕えてお伽衆となった。関ヶ原の合戦では東軍に属して1601年に但馬国七美郡で6700石を与えられて交代寄合となり、七美郡兎束(うづか)に陣屋をおいた。三代の矩豊の時に陣屋を七美郡の村岡に移した。1868年に1万1000石に加増されて村岡藩を立藩。明治時代には男爵。【出典

# 鳥取県の山名家: 南北朝時代に伯耆国守護を務めた。清和源氏新田氏の支流で、上野国多胡郡山名(群馬県高崎市)をルーツとする。【出典】 

・ 山陰の守護大名。清和源氏の出で、新田義重の長子の義範が上野国多胡郡山名(群馬県高崎市山名町)に住んで山名氏を称したのが祖。1335年中先代の乱を足利尊氏が討伐した際に、時氏が尊氏に従った。1363年には一族で丹波・伯耆・丹後・因幡・美作の守護に任ぜられ、以後幕府を支える有力大名の一つとなった。1389年に山名氏の惣領時義が死去した時点で山名一族の領国は、時義の但馬・伯耆・隠岐・備後、義理の美作・紀伊、氏清の山城・和泉・丹後、満幸の丹後・出雲、氏家の因幡の十二カ国を数え、日本全国の六分の一を有して六分一殿(ろくぶんのいちどの)と呼ばれた。このため三代将軍義満は山名一族の勢力を削ぐために、山名氏の惣領権をめぐる内訌を利用し、1389年に氏清・満幸に時煕・氏幸を討たせ、さらに1391年には満幸を追放した。満幸は氏清や義理とともに挙兵したものの、大内氏を中核とする幕府軍に敗退した。乱後、山名氏の領国は但馬・因幡・伯耆の三国のみとなるなど、一時その勢力は衰えた。その後は次第に勢力を回復し、1399年の応永の乱では大内氏討伐に活躍、1441年の嘉吉の乱で赤松義祐を討って、再び十カ国の守護を兼ねるまでに回復した。しかし、応仁の乱で持豊が西軍の総帥を務めて京の戦乱の中にあるうちに、各地の領国は国衆層の台頭で奪われ、戦国時代にはその所領は因幡・但馬のみとなった。1580年に豊臣秀吉にょって但馬出石城が落城し、山名宗家は滅亡した。【出典

# 山名家

# 「山名」の地名

# 「名」の漢字の持つ意味

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