「おき」の名字の由来 | |
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■ 隠岐(おき)
【2023/05/22:改編】
# 隠岐国をルーツとする隠岐氏は、宇多源氏の出。1227年に佐々木秀義の子の義清が隠岐国の守護となり、鎌倉時代に守護職を世襲した。一時、出雲国の守護も兼ねた。代々、隠岐の領主で、戦国時代、隠岐経清が毛利輝元に属した。尼子氏の家臣にも隠岐氏がいた。【出典】
# 近江の隠岐氏は甲賀郡隠岐(滋賀県甲賀郡甲賀町隠岐)をルーツとする。隠岐の土豪で、北山九家の一つ。【出典】
# 地下官人の隠岐氏は藤原長良の二男の遠経が祖。代々、二条家の諸大夫をつとめた。【出典】
# 隠岐国の国衆。宇多源氏の出。安貞元年(1227年)に佐々木秀義の子の義清が隠岐国の守護となったのが祖。代々、隠岐国の領主で守護代を務めたが、戦国時代の隠岐氏は京極氏の庶流で、同族ではあるが別流という。永禄12年(1569年)に為清は尼子氏の再興をはかった尼子勝久・山中幸盛を支援した。のちに為清と弟の清家が対立、敗れた為清は自刃した。その後、為清の子の経清が清家を殺して豊臣秀吉に通じたが、吉川元春に敗れて自刃した。江戸時代には岩国藩士。【出典】
■ 億岐(おき)
【2022/03/28:新載】
# 隠岐の名家。代々、隠岐国造を継いで、玉若酢神社の神官を務めた。【出典】
# 島根県の億岐(おき)家: 隠岐の名家。代々隠岐国造を継ぎ、玉若酢神社(隠岐の島町下西)の神官を務めた。江戸時代中期の国学者の億岐幸生や、幕末に隠岐郡代を追放して自治を敷いた億岐有尚などが有名。【出典】
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