鳥取県内の「山名」の名字の詳細
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■ 山名(やまな)

# 鳥取県の山名家: 南北朝時代に伯耆国守護を務めた。清和源氏新田氏庶流で、上野国多胡郡山名(群馬県高崎市)をルーツとする。【出典】 

・ 山陰の守護大名清和源氏の出で、新田義重の長子の義範が上野国多胡郡山名(群馬県高崎市山名町)に住んで山名氏を称したのが祖。1335年中先代の乱足利尊氏討伐した際に、時氏が尊氏に従った。1363年には一族で丹波・伯耆・丹後・因幡・美作の守護に任ぜられ、以後幕府を支える有力大名の一つとなった。1389年に山名氏の惣領時義が死去した時点で山名一族の領国は、時義の但馬・伯耆・隠岐・備後、義理の美作・紀伊、氏清の山城・和泉・丹後、満幸の丹後・出雲、氏家の因幡の十二カ国を数え、日本全国の六分の一を有して六分一殿(ろくぶんのいちどの)と呼ばれた。このため三代将軍義満は山名一族の勢力を削ぐために、山名氏の惣領権をめぐる内訌を利用し、1389年に氏清・満幸に時煕・氏幸を討たせ、さらに1391年には満幸を追放した。満幸は氏清や義理とともに挙兵したものの、大内氏を中核とする幕府軍に敗退した。乱後、山名氏の領国は但馬・因幡・伯耆の三国のみとなるなど、一時その勢力は衰えた。その後は次第に勢力を回復し、1399年の応永の乱では大内氏の討伐に活躍、1441年の嘉吉の乱で赤松義祐を討って、再び十カ国の守護を兼ねるまでに回復した。しかし、応仁の乱山名持豊が西軍の総帥を務めて京の戦乱の中にあるうちに、各地の領国は国衆層の台頭で奪われ、戦国時代にはその所領は因幡・但馬のみとなった。1580年に豊臣秀吉にょって但馬出石城が落城し、山名宗家は滅亡した。【出典】  

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