山名宗全
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■ 山名宗全(やまなそうぜん)【出典】: 「山名」の名字の由来

・ 山名持豊(やまなもちとよ)

・ 1404−1473年。享年70歳(病死)。

・ 出身地: 但馬国(兵庫県)。

・ 家族: 子:山名政豊。

・ 肩書き: 武将。

・ 名を持豊(もちとよ)といったが、出家して法名を宗全とした。山名氏明徳の乱で領国を三カ国に減らしたが、宗全は次第に力を付けて、1441年に六代将軍の足利義教を暗殺した赤松満祐を討伐(嘉吉の乱)したことによって、赤松氏の領国を合わせて所領は八カ国におよんだ。その後、宗全の横暴が目立ち、人々の反感を買うようになった。婿にあたる細川勝元とも対立し、ついに山名宗全率いる西軍11万、細川勝元率いる東軍16万が衝突した応仁の乱にいたった。はじめは苦戦したが、周防国から大内政弘が参陣したことで盛り返し、戦況は膠着した。宗全は1472年に和平交渉を試みたが、赤松政則の抵抗もあって失敗し、失意の内に自刃を図った。未遂だったが、その傷が悪化して死亡した。


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