「新田」の名字の由来
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■ 新田(にった、あらた)

【2022/09/28:改編】

# 322位

# 代表家紋

# 清和源氏藤原氏などに見られる。

# 新田開発由来の地名から出た名字。なお、「新しく開かれた田」のことを古代には「あらきだ」と言い、「新田(にった)」と言われたのは平安時代以降とのことだ。

# 群馬県の新田氏: 上野国の武士。清和源氏の源義国の長男の義重は、母が上野国司をつとめた藤原敦基の娘だったことから、父から八幡荘(群馬県高崎市)を継承。さらに1157年には上野国新田郡新田荘(群馬県太田市)の下司職となって新田荘を開発し、新田氏を称した。源頼朝の挙兵に際し、京で平家の家人となっていた義重は追討のために下向したが、そのまま源氏の一翼として挙兵し、やがて頼朝軍に合流した。新田荘は義重の5人の息子、義兼(新田本家)・義俊(里見氏)・義範(山名氏)・義季(世良田氏)・経義(瀬戸氏)と、義重の孫娘が足利義純に嫁いで生まれた時兼(岩松氏)の六家に分割相続され、新田一族全体で上野国から越後国に及ぶ大きな勢力を保っていた。
1332年に後醍醐天皇に呼応し、楠木正成が千早城で挙兵すると、千早城攻めに参加していた義貞も挙兵。分倍河原合戦では幕府軍に敗れたが、三浦一族の大多和義勝率いる相模武士と合流したことで息を吹き返し、霞ノ関合戦で大勝して一気に鎌倉に攻め込んで北条氏を滅ぼした。建武の新政では武者所頭人となって、足利氏とともに新政権において武家を率いる立場にあった。しかし、中先代の乱を契機に足利尊氏と反目し、尊氏の離反後は、後醍醐天皇を奉じて南朝を率いたが、1338年に越前藤島(福井市)で戦死。家督を継いだ三男の義宗は、異母兄の義興と共に各地を転戦した義興は一時鎌倉奪還を果たすが、足利基氏・畠山国清らによって武蔵国矢口渡(東京都大田区)で謀殺され、以後は没落。1368年に越後国で挙兵した義宗と一族の脇屋義治が上野国沼田で関東管領の上杉憲顕軍に敗れて戦死、新田氏宗家は事実上滅亡した。【出典

# 新潟県の新田家

# 石川県の新田家

# 広島県:84位、島根県:96位、岩手県:97位、石川県:103位、福島県:131位、宮城県:156位、秋田県:165位、〜山形県:293位。

# 河内源氏庶流で、源義家の孫の義重が上野国新田郡新田郷(群馬県太田市)を開発したのが由来。新田義貞の家紋

# 上野国新田郡(群馬県)をルーツとし、清和源氏の子孫の南部氏の一族や、藤原秀郷の一族がある。

# 新田と言えば鎌倉時代から南北朝にかけての新田義貞(源義貞)が有名で、先祖は群馬県太田市周辺に領地を構えた。

# 新田氏から派生した名字には、「世良田」「寺田」「江田」「額田」「庄田」「岩松」「金谷」「堀口」「大草」「横瀬」「里見」「山名」「大井田」「大島」「田中」「鳥山」などがある。

# 沖縄県発祥の新田氏もある。

# おにゃんこクラブの新田恵利は埼玉県ふじみ野市の出身。北海道知事の高橋はるみ(旧姓:新田)は富山県富山市の出身。

# 「新田」の地名

# 新田氏の後裔
・ 「山名」「里見」「大島」「得川(とくがわ)」「世良田(せらだ)」「岩松」。
・ 岩松氏の子孫は明治維新後に新田に改姓した。【名字の謎学 博学こだわり倶楽部編 KAWADE夢文庫】

# 新田氏
・ 清和源氏の源義国の長男の義重は、母が上野国の国司を務めた藤原敦基の娘だったので、父から八幡荘(群馬県高崎市)を継承し、さらに保元2年(1157年)に、上野国新田郡新田荘(群馬県太田市)の下司職となって新田荘を開発し、新田氏を称した。
・ 義重は、京で平氏の家人となっていたが、源頼朝の挙兵に応じて合流した。
・ 新田荘は義重の5人の息子である、義兼(新田宗家)、義俊(里見氏)、義範(山名氏)、義季(世良田氏)、経義(額戸氏)と、足利義純に嫁いだ娘の子の時兼(岩松氏)の六家に分割相続された。【出典

# 「田」の漢字の持つ意味


# 新潟県内の「新田」の名字の詳細

# 富山県内の「新田」の名字の詳細

# 石川県内の「新田」の名字の詳細

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