「岩松」の名字の由来 | |
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■ 岩松(いわまつ)
【2022/10/11:改編】
# 清和源氏の足利氏族の足利義純が新田氏の養子となって、時兼が上野国新田郡岩松を領して岩松氏を称した。江戸時代には交代寄合。代表家紋は大中黒紋、五三桐紋。【出典】
# 群馬県の岩松家
# 上野国新田郡(群馬県)120石。旗本の中で一番石高が少なかったというが、格式的には交代寄合。徳川家は清和源氏の新田氏の庶流を称するが、新田義貞の直系は途絶えており、傍系の中で血筋がよかったのが岩松家と言われる。一応は、徳川家の本家筋となる。【誰も書かなかった徳川家の謎 小泉俊一郎 中経文庫】
# 新田宗家が上野国沼田で上杉憲顕に敗れて滅亡した後に、事実上の宗家となったのが岩松氏。岩松経家は、足利尊氏に従い、飛騨国の守護をはじめ、8カ国の10カ所に所領を得た。幕末には新田官軍を組織し、明治維新後には新田氏に改姓し、男爵。【出典】
# 上野国発祥の大族。新田義重の後裔の義兼・畠山義純・岩松時兼の系統。清和源氏の足利氏族の義純が新田氏の養子となり時兼が新田郡岩松を領して岩松氏を称した。南北朝時代には、初めは新田氏に、後に足利氏に属し、新田氏の本流に替わって新田庄を支配した。江戸時代には交代寄合。代表家紋は「大中黒紋」「五三桐紋」。【出典】【家紋のデータ】
# 上野国の岩松家(国衆): 新田荘を本領とした新田氏の庶子家で、鎌倉時代有力御家人であった惣領家の統制下にあった。南北朝時代には、新田氏の惣領家から離れて足利氏に従い、室町幕府・鎌倉幕府のもと、足利氏の庶流であったことにより足利氏の御一家の地位にあり、鎌倉公方の足利氏の庶子家として存在した。【出典:国衆 黒田基樹 平凡社】
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