細川重賢
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■ 細川重賢(ほそかわしげかた)【出典】: 「細川」の名字の由来

・ 1720−1785年。享年66歳(病死)。

・ 出身地: 江戸。

・ 肩書き: 大名

・ 家族: 父:細川宣紀。

・ 家紋: 細川九曜紋

・ 肥後国熊本藩の六代藩主。兄の、宗孝が殺害されたことによって家督を継いだ。当時の藩の財政は困窮を極めており、重賢の仕事はとにもかくにも藩財政の改革だった。重賢は堀勝名を補佐とした。重賢と勝名は、大坂の豪商の加島屋からの資金で、橋や用水路や新田開発を行って、殖産振興につとめた。その後、財政は持ち直して、54万石の熊本藩の実高は増え続けて100万石にもおよんだ。1754年に重賢は、熊本城内に藩校の時習館を設置した。これら一連の改革を宝暦の改革という。

#  1747年に肥後熊本藩主の細川宗孝が刃傷によって命を失ったので、弟の重賢が六代藩主となった。藩校の時習館を創立し、藩士だけではなく、農民や商人の師弟にも門戸を開いた。   


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