朝倉義景 | |
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■ 朝倉義景(あさくらよしかげ)【出典】
・ 「朝倉」の名字。
・ 1533ー1573年。享年41歳(自害)。
・ 出身地: 駿河国。
・ 肩書き: 武将。
・ 家族: 朝倉孝景。
・ 家紋: 三つ盛り木瓜紋。
・ 朝倉義景は、孫次郎延景を名乗っていたが、将軍の足利義輝から一字を賜って義景とした。しかし、1565年に、義輝は永禄の変で松永久秀らに襲われて討ち死にした。この変で幽閉された弟の覚慶は、還俗して足利義秋(義昭)と称し、義景を頼って越前国に転じた。義昭は足利将軍家として義景に擁立されて、上洛を希望したが、義景は上洛には動かなかった。義昭は明智光秀を介して織田信長を頼り、信長のもとで上洛を果たした。信長は、将軍になった義昭の名で、義景に上洛を要請したが、義景は信長にはこれを無視した。これを受けて、1570年に、義景は信長・徳川の連合軍に攻められ、1573年4月に武田信玄が死亡すると、信長方の猛攻で自害した。
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