「下妻」の地名の由来
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■ 下妻(しもつま): 茨城県下妻市

・ 「しもづま」ともよむ。鬼怒(きぬ)川と小貝川に挾まれた台地南端に位置し、東部は古代の騰波江(鳥羽の淡海、現在水田)に面する。この地からは、平安期に桓武平氏大掾氏流の下妻氏、鎌倉初期には藤原秀郷小山氏流の下妻氏と清和源氏頼政流の下間氏とが発祥している。地名の語源について、従来は郡の下方にて詰まりの地、ツマは端にて、郡の下方の端の意とする。「常総誌略」は、「下ノ津」という魚場の北にある瀬上ケ原に応徳3年常陸大掾平清幹が城を築き、下ノ津に近いため下津間城と名付け、息男盛幹の居城としたとするが、「下妻市史」によれば、騰波江(湖)沿岸のシモ(南部)・ツ(の=助詞)・マ(港の古語)の意である。下妻城(多賀谷城)は、戦国期の多賀谷氏7代にわたる居城。【出典】  

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