「新宿」の地名の由来
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■ 新宿(しんじゅく): 東京都新宿区

・ 甲州街道に新しく開かれた宿場町の「内藤新宿」に由来する。

・ 新編武蔵風土記稿によると、「内藤新宿は甲州道中宿駅の一なり、御打入の後内藤大和守に給ひし屋敷の内を、後年裂て上地となりし頃も、萱葭原なりしを、元禄11年江戸浅草阿部川町の名主ら及び浅草の町人市左衛門、忠右衛門、嘉吉、五兵衛と云者、願上で今の如く幅五間半の街道を開き、左右に宿並の家作をなし、喜兵衛は喜六と改め、五人共に移り住せり、元内藤氏の屋敷なりしゆへ其儘内藤新宿と名付、江戸より多磨郡上下高井戸宿まで人馬継立の駅亭とせしか」とある。【大石学著の続 駅名で見る江戸・東京】より

・ 新編武蔵風土記稿によると、内藤新宿の街道の幅は5間半(約10m)

・ 新宿駅(しんじゅくえき): JR東日本・中央本線など埼京線。東京都新宿区新宿。江戸時代には内藤宿とも、新宿とも呼ばれていた。【地形を感じる駅名の秘密 東京周辺 内田宗治 じっぴコンパクト新書】

・ 新宿駅(しんじゅくえき): 東京都新宿区。JR東日本・中央本線。江戸時代、甲州街道と青梅街道との追分に新しく作られた宿場で、当時、関東奉行の内藤修理亮清成の屋敷があったので、内藤新宿と呼ばれた。【出典

■ 新宿追分(しんじゅくおいわけ): 東京都新宿区新宿三丁目

・ 近世の甲州街道と青梅(おうめ)街道との分岐点。現在の新宿3丁目にあたる。慶長年間に両街道が開かれ、当初は町並もなく広大な武蔵野に4軒の茶屋(四ツ屋)と内藤大和守の屋敷ぐらいだったという。追分付辺に一里塚が築かれ、元禄11年内藤新宿が宿駅に設定されると、江戸四宿の1つとして繁栄し、追分は中町と上町との境にあたる。享保3年から明和8年まで宿駅は一時廃されるが、その後は吉原(よしわら)にも劣らぬ遊興地となった。現在では新宿の中心地をなしている。【出典

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