「戸沢」の名字の由来
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■ 戸沢(とざわ) 

【2021/01/26:改編】

# 代表家紋: 石持ち地抜き九曜紋

# 秋田県や北海道を中心に東日本にみられる。

# 陸奥国岩手郡戸沢(岩手県岩手郡雫石町戸沢)をルーツとし、桓武平氏の出。明治維新後は子爵

# 戸沢(とざわ): 桓武平氏の出で、大和国に生まれた平衡盛が源義仲に従い、のちに奥州に下り、陸奥国岩手郡戸沢(岩手県岩手郡雫石町戸沢)に住んで、戸沢氏を称した。【出典

# 秋田県の戸沢家: 陸奥国岩手郡戸沢(岩手県雫石町)をルーツとし、桓武平氏の出。戦国時代に南部氏に従い、出羽国角館(秋田県仙北市)に転じた。【出典】 

・ 出羽国仙北地方の戦国大名。桓武平氏の出で、大和国尾輪に生まれた平衡盛が源義仲に従った後、1184年に不和となって奥州に降り、陸奥国岩手郡戸沢(岩手県岩手郡雫石町戸沢)に住んで戸沢氏を称したのが祖。子の兼盛は1206年に出羽国山本郡鳳仙台(秋田県仙北市)に移り、さらに1218年に小館(仙北市西木町)、1220年に門屋に転じ、1228年には門屋城を築城したと言うが、鎌倉時代以前の戸沢氏については、戸沢の土豪だったこと以外よくはわからない。また、戸沢氏が名字の地である戸沢から、南部氏に圧されて出羽国門屋に移住した時期も不明。その後、応永年間に家盛が出羽国角館(秋田県仙北市角館町)に移ったとされるが、戦国時代の天文年間とも言われ、はっきりしない。戸沢氏の動向が史料上で確認できるのは戦国時代の盛安からで、小野寺氏に与する一方、家臣の前田薩摩守を織田信長の下に送って鷹を献上するなど、中央の動向にも目を配った。1590年の秀吉の小田原攻めが始まると、盛安はいち早く参陣したものの陣中で病没。弟の光盛が跡を継いで、角館4万4000石あまりを安堵され、独立した大名として認知された。関ヶ原の合戦では東軍に属し、1602年に常陸松岡藩(茨城県高萩市)4万石を立藩。後に出羽新庄6万8200石に転じた。【出典

# 山形県の戸沢家: 新庄藩主陸奥国岩手郡戸沢(岩手県岩手郡雫石町戸沢)をルーツとする。後に出羽国角館(秋田県仙北市角館町)に転じ、関ヶ原の戦いでは東軍に属し、常陸国松岡藩(4万石・茨城県高萩市)を立藩。後に出羽国新庄へ転じた。明治維新後は子爵。【出典】 

・ 出羽国新庄藩主。(秋田県の)仙北地方の戦国大名の戸沢氏の子孫。1590年に豊臣秀吉の小田原攻めが始まると、盛安はいち早く参陣したものの、陣中で病没した。弟の光盛が跡を継いで、角館4万4000石余りを安堵され、独立した大名として認知された。関ヶ原の合戦では東軍に属し、1602年に出羽国新庄6万8200石に転じた。江戸時代を通じて領内の新田開発・鉱山開発を推進、幕末の実高は10万石余りだった。明治時代には子爵。【出典

# 戸沢家(とざわけ): 家紋「丸に輪貫九曜紋」

・ 出羽国山本郡角館(秋田県仙北市角館)を本拠地とした。

・ 桓武平氏の出で、木曽義仲に従った平衡盛が陸奥国岩手郡戸沢に転じ戸沢氏を称した。南北朝時代に出羽国に転じた。【戦国大名「御家」系譜事典 宝島社 監修:森岡浩】

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