秋田県内の「戸沢」の名字の詳細 | |
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■ 戸沢(とざわ): 秋田県の戸沢家
# 秋田県の戸沢家: 陸奥国岩手郡戸沢(岩手県雫石町)をルーツとし、桓武平氏の出。戦国時代に南部氏に従い、出羽国角館(秋田県仙北市)に転じた。【出典】
・ 出羽国仙北地方の戦国大名。桓武平氏の出で、大和国尾輪に生まれた平衡盛が源義仲に従った後、1184年に不和となって奥州に降り、陸奥国岩手郡戸沢(岩手県岩手郡雫石町戸沢)に住んで戸沢氏を称したのが祖。子の兼盛は1206年に出羽国山本郡鳳仙台(秋田県仙北市)に移り、さらに1218年に小館(仙北市西木町)、1220年に門屋に転じ、1228年には門屋城を築城したと言うが、鎌倉時代以前の戸沢氏については、戸沢の土豪だったこと以外よくはわからない。また、戸沢氏が名字の地である戸沢から、南部氏に圧されて出羽国門屋に移住した時期も不明。その後、応永年間に家盛が出羽国角館(秋田県仙北市角館町)に移ったとされるが、戦国時代の天文年間とも言われ、はっきりしない。戸沢氏の動向が史料上で確認できるのは戦国時代の盛安からで、小野寺氏に与する一方、家臣の前田薩摩守を織田信長の下に送って鷹を献上するなど、中央の動向にも目を配った。1590年の秀吉の小田原攻めが始まると、盛安はいち早く参陣したものの陣中で病没。弟の光盛が跡を継いで、角館4万4000石あまりを安堵され、独立した大名として認知された。関ヶ原の合戦では東軍に属し、1602年に常陸松岡藩(茨城県高萩市)4万石を立藩。後に出羽新庄6万8200石に転じた。【出典】
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