上山藩 | |
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■ 上山藩(かみのやまはん): 山形県上山市
・ 「上山」の地名。
・ 1697年に松平(藤井)家が入った。
# 上山藩(かみのやまはん)
・ 元和8年山形城主最上氏の改易により、上山には譜代大名の能見松平重忠4万石が封ぜられたが、寛永3年外様の蒲生忠知、翌年山形藩主鳥居氏の城代管理を経て寛永5年、外様の土岐頼行が入部し、以後元禄5年まで2代65年間上山藩を統治した。その後一時幕府領となったあと外様の金森家(3万8764石)が入部したが、元禄10年、譜代の藤井松平信通(のぶみち)が備中庭瀬(現岡山県吉備郡)から上山3万石に入部して幕末まで定着した。【出典】
・ 上山藩領は上山城付領としての上郷約1万7,000石・37か村が、城廻・中川郷・生居郷・牧野郷・本庄郷・西郷にまたがり、残りの1万3,000石余は、中・下郷と称して現在の山形・寒河江・谷地の間に散在した。領知高の増減は中・下郷で調整され、藤井松平家の時代には、山形の西方の内表・中野・鮨洗の3か村を中郷と呼び約2,500石、下郷は溝延村五か組と仁田・小泉・日和田・箕和・新田各村で約1万石となっている。【出典】
# 上山藩(かみのやまはん): 出羽国。上山城。藤井松平家。譜代大名。3万石。元和8年に立藩。控間:帝鑑間。格:城主。位階:従五位下。上屋敷:港区麻布十番。元和8年の最上家の改易によって能見松平家の松平重忠が立藩した。蒲生家、土岐家、金森家のあとに藤井松平家が入封して十代続いた。【出典】
# 上山藩士: 金子家
【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。