三重県内の諸藩
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■ 井生藩(いうはん)

・ 伊勢国。松浦家。1万石。豊臣政権下で松浦家が治めた。関ヶ原の合戦では西軍について除封。【出典

■ 伊賀上野藩(いがうえのはん)

・ 伊勢国。伊賀上野城。筒井家。外様大名。石高20万石。格:城主。位階:従四位下。筒井定次が豊臣秀吉から20万石を賜って立藩したが、慶長13年に改易になって津藩に併合。【出典

■ 伊勢岩手藩(いせいわではん)

・ 伊勢国。岩出城。稲葉家。外様大名。4万5000石。稲葉良通の孫である牧村利貞が立藩。関ヶ原の合戦後に、実弟の道通が伊勢田丸に転封になって廃藩。【出典

■ 伊勢上野藩(いせうえのはん)

・ 伊勢国。上野城。分部家。外様大名。2万石。慶長3年に分部光嘉が大名になって立藩。のちに近江国大溝に転封となって廃藩。【出典

■ 伊勢西条藩(いせさいじょうはん)

・ 伊勢国。西条陣屋。有馬家。譜代大名。1万石。享保11年、有馬氏倫が立藩。二代の氏久が伊勢南林崎に藩庁を移した。【出典

■ 伊勢林藩(いせばやしはん)

・ 伊勢国。林城。織田家。外様大名。1万石。関ヶ原の合戦の後に、丹波国柏原藩主の織田信包の子の信重が伊勢林1万石を安堵されて立藩。【出典

■ 亀山藩(かめやまはん): 三重県亀山市

■ 雲出藩(くもずはん)

・ 伊勢国。蒔田家。外様大名。1万石。豊臣政権下で、蒔田広定が大名になって立藩。のちに備中国浅尾に転封になって廃藩。【出典

■ 桑名藩(三重県桑名市)

■ 神戸藩(かんべはん): 三重県鈴鹿市

・ 「神戸」の地名。

・ 本多家1万5千石・譜代大名

# 神戸藩士: 

# 神戸藩(かんべはん): 伊勢国。神戸城。本多家。譜代大名。1万5000石。控間:帝鑑間。格:城主。位階:従五位下。上屋敷:千代田区神田錦町。慶長6年(1601年)に、一柳直盛が5万石で入封して立藩。その後、石川家を経て、享保17年(1732年)に本多忠統が入封してからは、本多家が7代続いて廃藩置県へ。【出典

■ 菰野藩(こものはん): 三重県菰野町

・ 「菰野」の地名。

・ 土方家1万1千石・外様・陣屋

# 菰野藩士: 

# 菰野藩(こものはん): 伊勢国。菰野陣屋。土方家。外様大名。1万2000石。控間:雁間。格:無城。位階:従五位下。上屋敷:港区西新橋。伊勢国・近江国に1万2000石を賜った土方雄久の子の雄氏が、伊勢国菰野に藩庁をおいて立藩した。【出典

■ 竹原藩(たけはらはん)

・ 伊勢国。山崎家。1万石。豊臣政権下で山崎定勝が立藩。関ヶ原の合戦で西軍について除封。【出典

■ 田丸藩(たまるはん)

・ 伊勢国。田丸城。稲葉家。外様大名。4万5000石。関ヶ原の合戦の後に、伊勢岩手から稲葉道通が入封。子の、紀通が摂津国中島に転封になって廃藩。【出典

■ 津藩(つはん): 三重県津市

■ 鳥羽藩(とばはん): 三重県鳥羽市

■ 長島藩(ながしまはん): 三重県桑名市

■ 八田藩(はったはん)

・ 伊勢国。東阿倉川陣屋。加納家。譜代大名。1万3000石。延享2年、加納久通が大名になって立藩。五代の時に上総国一宮に藩庁を移した。【出典

■ 久居藩(ひさいはん): 三重県津市

・ 「久居」の地名

・ 藤堂家5万3千石・外様

・ 津藩の藤堂家の分家。

・ 藤堂高通(たかみち): 伊勢国久居藩主で藤堂高虎の孫。俳諧大名と言われた。16歳で従五位佐渡守に任ぜられた。

# 久居藩士: 

# 久居藩(ひさいはん): 伊勢国。久居陣屋。藤堂家。外様大名。5万3000石。控間:柳間。格:城主格。位階:従五位下。上屋敷:台東区台東。寛文9年(1669年)に、津藩主の藤堂高次の次男の高が、伊勢国六郡と大和国四郡、山城国一郡のうちに5万石を分知されて、伊勢国久居で立藩。以後は藤堂家が続いて廃藩置県へ。【出典

■ 松坂藩(まつざかはん)

・ 伊勢国。松坂城。古田家。外様大名。5万5000石。控間:柳間。格:城主。位階:従五位下。関ヶ原の合戦の後に、古田重勝が旧領を安堵されて立藩したが、石見国浜田に転封。その後は紀州藩領に併合されて廃藩。【出典

■ 南林崎藩(みなみはやさきはん)

・ 伊勢国。南林崎陣屋。有馬家。譜代大名。1万石。延享2年、有馬氏久が伊勢西条から藩庁を移転。さらに五代の氏恕が上総国五井に転じた。【出典


【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。

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