長島藩
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■ 長島藩(三重県桑名市

・ 「長島」の地名。

・ 増山家2万石・譜代大名

・ 1702年に常陸国下館から増山家が入封。

・ 増山(ましやま)正賢(まさかた): 伊勢国長島藩の五代藩主。「雪斎」を号した。虫が好きで昆虫図鑑をまとめた。1754年に江戸藩邸で生まれた。1702年に常陸国の下館から増山正弥が2万石で入封し、幕末まで続いた。正賢は藩校の「文礼館」を作った。

・ 増山家(伊勢国長島藩): 三代将軍家光の側室のお楽の方の実家(古着屋)。初代の正利はお楽の方の弟で、家綱の小姓となり相模国で1万石から、三河国西尾藩2万石。その後常陸国下館藩から伊勢国長島藩2万石。明治時代には子爵。【譜代大名126家「勝ち組」の出世競争 榎本秋 晋遊舎新書】

# 長島藩士: 

# 長島藩(ながしまはん): 伊勢国。長島城。増山家。譜代大名。2万石。控間:雁間。格:城主。位階:従五位下。上屋敷:千代田区丸の内。関ヶ原の合戦の後に、上野国阿保より菅沼家が入封して立藩。久松松平家を経て、元禄15年(1702年)に増山正弥が入ってからは、増山家が八代続いて廃藩置県へ。【出典


【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。

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