「藤堂」の名字の由来 | |
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■ 藤堂(とうどう)
【2021/02/17:改編】
# 代表家紋
# 関西地方から瀬戸内海沿岸にかけてみられ、特に愛媛県宇和島市に多い。
# 近江国愛智郡藤堂(滋賀県犬上郡甲良町)をルーツとする。
# 戦国時代に藤堂高虎は、浅井氏、織田氏、豊臣氏に仕え、伊予宇和島7万石を得た。藤堂高虎の家紋。
# 藤堂高虎といえば、加藤清正、堀尾吉晴などとともに築城の名手と言われる。
# 藤堂家は藤原氏を称し、佐々木氏の庶流。藤原氏の佐々木氏もあるのか?藤堂高虎は浅井氏から豊臣秀長に仕え、秀長家が無くなった後、一旦高野山にはいったが、秀吉に南予を与えられ、宇和島の基礎を築いた。秀吉の死後は家康に近づき、関ヶ原の戦いの功で宇和島に加えて今治を得た。慶長13年に伊勢国津32万3千石。
# 三重県の藤堂家
# 藤堂村: 在士(ざいじ)ともいう。滋賀県犬上郡甲良町在士。中世は甲良(かわらの)荘のうち。藤堂氏の本拠地で、藤堂高虎はこの村で生まれ育った。藤堂氏は室町幕府に仕え、一時所領は甲良荘19か村全域に及んだ)。のち佐々木氏の旗頭になり、高虎の時代には江北の浅井氏に仕え、さらに木下秀長の家老となり、累進して文禄4年四国伊予宇和島の大名となるに及んで一族を挙げて藤堂村を去った。慶長5年関ケ原の戦い以後、村は井伊氏領となり井伊家2代の直孝が寛永年間に在士村と改めた。【出典】
# 「堂」のつく名字。
# 「藤」のつく名字。
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