「織田」の名字の由来 | |
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■ 織田(おだ、おりた)
【2023/06/21:改編】
# 592位
# 代表家紋
# 織田姓は全国にみられますが、「おりた」読みは兵庫県を中心に西日本にみられるようです。
# 「織田系図」によると、織田氏は壇ノ浦で入水した平資盛(すけもり)の妻が遺児の親真を抱いて近江国津田荘に逃れ、親真が成長したのちに越前国敦賀郡織田荘の織田剣神社の神官の養子となって織田氏を称したのが祖。桓武平氏流としてシンボルの揚羽蝶紋を使う。しかし、出自は多説あり、現在では越前国の織田荘発祥で、忌部宿禰の後裔というのが有力説(太田亮)である。その後の織田氏は越前国・尾張国の守護の斯波氏に取り立てられ、尾張国の守護代として尾張国に移った。織田信長は本能寺で非業の死をとげたが、二男の信雄の系統は出羽天童藩、五男の信友の系統は丹波柏原藩、弟の長益(有楽斎)の系統は大和国芝村藩および大和国柳本藩と、それぞれ四大名を出した。代表家紋は「揚羽蝶紋」「織田木瓜紋」。【出典】【家紋のデータ】
# 山形県の織田家
# 石川県の織田家
# 愛知県の織田家
# 兵庫県の織田家
# 奈良県の織田家
# 織田上総介信長: 言わずと知れた、戦国時代末期の大名ですねぇ。
# 塩野七生は、「男の肖像(文春文庫)」で以下のように述べている。
「織田信長が日本人に与えた最大の贈り物は狂信の徒の皆殺しである。仏教であれなんであれ、日本人では宗教が政治にちょっかいを出すことの方が不自然になった。欧米諸国が現在に至るまでこの問題(政教分離)で、悩まされてきた実情を知れば、われわれのもつ幸運の大きさに、日本人がまず驚嘆するであろう。」
※ 日本に自爆テロリストがいない理由。
# 織田長益(有楽斎) ・ 織田信孝 ・ 織田信長 ・ 織田信秀 ・ 織田信行
# 織田家
# 国衆(国人)
# 「田」のつく名字。
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