加藤清正 | |
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■ 加藤清正(かとうきよまさ)【出典】
・ 1562−1611年。享年50歳(病死)。
・ 出身地: 尾張国。
・ 肩書き: 武将。
・ 家族: 子:加藤忠広
・ 家紋: 蛇の目紋。
・ 清正の母と秀吉の母は従姉妹同士であったため、清正は幼少から秀吉に仕えた。本能寺の変ののちには、明智光秀と山崎の戦いに参戦。1583年には柴田勝家との賤ヶ岳の戦いで、敵将の山路正国を倒した。その武功で「賤ヶ岳の七本槍」のひとりに数えられ、秀吉から3000石を賜った。九州攻めののちに、熊本城に拠って、肥後国の半国19万5000石を得た。秀吉の死後は、石田三成と不仲になって、徳川家康に接近した。関ヶ原の戦いでは東軍について、肥後国52万石を領した。
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