大分県内の諸藩 | |
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■ 臼杵藩(うすきはん): 大分県臼杵市
・ 「臼杵」の地名。
・ 稲葉家5万石・外様
# 臼杵藩(うすきはん): 豊後国。臼杵城。稲葉家。外様大名。5万石。控間:柳間。格:城主。位階:従五位下。上屋敷:港区西新橋。大友家の除封にともない、福原直高、太田一吉が入封したが関ヶ原の合戦で除封。代わりに、美濃国から稲葉貞通が入封。以後は、稲葉家が十五代続いて廃藩置県へ。【出典】
■ 岡藩(おかはん): 大分県竹田市
・ 「岡」の地名。
・ 中川家7万石・外様
・ 幕末に岡藩は佐幕派の政策をとっていたが一部には官軍に恭順せよとの意見もあった。
# 岡藩士:
# 岡藩(おかはん): 豊後国。岡城。中川家。外様大名。7万石。控間:柳間。格:城主。位階:従五位下。上屋敷:中央区明石町。大友氏の除封に伴い、中川秀成が入封して立藩。関ヶ原の合戦の後も本領を安堵されたため、以後、中川家が十三代続いて廃藩置県へ。【出典】
■ 杵築藩(きつきはん): 大分県杵築市
・ 「杵築」の地名。
・ 1645年に松平(能見)家が入封。
# 杵築藩士:
# 杵築藩(きつきはん): 豊後国。杵築城。能見松平家。譜代大名。3万2000石。控間:帝鑑間。格:城主。位階:従四位下。上屋敷:千代田区霞が関。関ヶ原の合戦の後に、中津藩領に統合されていたが、寛永9年に小笠原忠知が入封して、その後、正保2年(1645年)の能見松平英親からは松平家が十代続いた。【出典】
■ 佐伯藩(さいきはん): 大分県佐伯市
・ 「佐伯」の地名。
・ 毛利家2万石・外様
・ 毛利家(長州藩の毛利家とは別家)は近江源氏の出で、鯰江氏を称していたが、織田信長に敗れ、森の地に逃れ森氏を称した。さらに、毛利家に人質として預けられ、毛利氏を称した。
・ 三井財閥の創始者の森越後守高利も一族。三越の旧名の越後屋はこの「越後守」に由来する。
# 佐伯藩士:
# 佐伯藩(さいきはん): 豊後国。佐伯城。毛利家。外様大名。2万石。控間:柳間。格:城主。位階:従五位下。上屋敷:港区芝公園。慶長6年に、毛利高政が豊後国日田2万石から、豊後国海部郡2万石に転じて立藩。以後、毛利家が十二代続いて廃藩置県へ。【出典】
※ 長州藩の毛利家とは別系かな?
■ 高田藩(たかだはん): 大分県豊後高田市
・ 豊後国。高田城。能見松平家。譜代大名。3万7000石。寛永16年に能見松平重直が竜王から転じた。二代の英親が豊後杵築に転じて廃藩。【出典】
■ 中津藩(なかつはん): 大分県中津市
■ 日出藩(ひじはん): 大分県日出町
・ 「日出」の地名。
・ 木下家1万5千石・外様
# 日出藩士: 帆足家
# 日出藩(ひじはん): 豊後国。日出城。木下家。譜代大名。2万5000石。控間:柳間。格:城主。位階:従五位下。上屋敷:港区虎ノ門。関ヶ原の合戦の後に、木下延俊が3万石で入封して立藩した。延俊の死後、二代の俊治が弟に5000石を分知して2万5000石に。その後木下家が十六代続いて廃藩置県へ。【出典】
■ 日田藩(ひたはん): 大分県日田市
・ 豊後国。永山城。越前松平家。親藩。7万石。元和2年(1682年)に、松平直矩が入封。のちに、天領になった。【出典】
■ 府内藩(ふないはん): 大分県大分市
・ 「府内」の地名。
・ 元は大友家の城下町。大友家は相模国の大友郷に由来する。大友家が除封になった後、福原家、早川家、竹中家を経て、1658年に大給(おぎゅう)松平家が入った。
# 府内藩士: 岡本家
# 府内藩(ふないはん): 豊後国。府内城。大給松平家。譜代大名。2万2000石。控間:帝鑑間。格:城主。位階:従五位下。上屋敷:千代田区神田淡路町。大友家の除封によって、早川長?が入封して立藩したが、関ヶ原の合戦で除封。竹中家、日根野家を経て、万治元年(1658年)の、大給松平忠昭から松平家が十代続いて廃藩置県へ。【出典】
■ 豊後高松藩(ぶんごたかまつはん): 大分県大分市日岡
・ 豊後国。高松陣屋。大給松平家。譜代大名。2万2000石。寛永19年(1642年)に、大給松平忠昭が立藩。のちに豊後府内藩主になって廃藩。【出典】
■ 森藩(もりはん): 大分県玖珠郡玖珠町
・ 「森」の地名。
・ 久留島家1万2千石・外様・陣屋
・ 関ヶ原の戦い後に、伊予国の来島から来島家が転じ、後に久留島を称した。
# 森藩士:
# 森藩(もりはん): 豊後国。森陣屋。久留島家。外様大名。1万2000石。控間:柳間。格:無城。位階:従五位下。上屋敷:港区三田。慶長6年(1601年)に、伊予の来島康親が1万4000石で入封して、久留島に改姓。以後は、久留島家が十二代続いた。【出典】
■ 竜王藩(りゅうおうはん): 大分県宇佐市
・ 豊後国。龍王陣屋。能見松平家。譜代大名。3万7000石。寛永9年に能見松平重直が入封。のちに、藩庁を豊後高田に移してうつして廃藩。【出典】
【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。