「中川」の名字の由来
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■ 中川(なかがわ)

【2021/02/10:改編】

# 50位

# 第49位 約29万人【明治安田生命ランキング2008

# 第47位 約31万人【明治安田生命ランキング2013

# 第48位 約30万人【明治安田生命ランキング2018

# 代表家紋

# 「中央の川」という地形由来の地名でそれが姓となった。

# 近畿地方から北陸地方にかけて多くみられる。

# 豊後国の岡藩の藩主の中川家は清和源氏頼光流。戦国時代には摂津国茨城城(大阪府)の城主。

# 近衛家諸大夫を務めた中川家は藤原氏の出。

# 三河国発祥の中川家は藤原南家真作流。

# 小浜藩の藩医の中川家は清和源氏頼範流。

# 中川清秀の家紋

# 戦国時代末期の中川清秀は多田源氏の出。荒木村重に従っていたが、村重の反旗に組せず、茨木城12万石を経て、息子の秀政は信長の娘婿となった。

# 富山県の中川家: 越中国上新川郡町袋村(富山県富山市)の中川家は、能登国中川村の出。

# 石川県の中川家: 加賀藩の重臣。尾張国の出で、祖の重政は織田信長に仕えた。また重政の嫡男の光重は前田利家の娘を娶ったことから、利家の重臣となった。

# 京都府の中川家: 金物師・千家十職。越後国高田(新潟県上越市高田)で武具の鋳造をしていたが、天正年間に京都に出てきて茶道具を作り始めたのが祖。

# 大分県の中川家: 岡藩主清和源氏の頼光流。建武年間に清深が摂津国豊島郡中川村(大阪府大阪市生野区)に住んで中川氏を称した。

・ 豊後岡藩(大分県竹田市)藩主。清和源氏頼光流という。戦国時代には摂津国島下郡の茨木城(茨木市)城主で、清秀は池田勝正に属していた。後に織田信長に仕えて荒木村重に従って4万石を領した。その子の秀政は豊臣秀吉に仕えて播磨三木城に拠り、1594年に豊後岡7万石に移ったが、文禄の役で戦死。関ヶ原の合戦で秀成は東軍に属したが、豊後国石垣原(大分県別府市)合戦で行動が徳川家康の不審を招いたため、西軍の臼杵城主の太田一吉を攻めて誤解を解き、以後も豊後岡7万440石の藩主となった。鉱山開発に力を注いだ他、熊沢蕃山の意見を取り入れた井路の整備が注目される。明治時代には伯爵。【出典

# 大分県の中川家: 岡藩家老。藩主の中川家の一族。

# 政治家の中川一郎は北海道広尾町の出身。中川家の中川兄弟は大阪府守口市の出身。

【一個人 2013年12月号】

# 中川(49位)

・ 北陸地方から近畿地方や山陽地方から四国地方にかけて多く、特に滋賀県に多い。

# 「中川」の地名

# 中川清秀: 多田源氏の出。妹婿は古田織部。【江戸の殿さま 全600家 八幡和郎 講談社】

# 岡藩

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