「森」の名字の由来
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■ 森(もり)

【2021/03/05:改編】

# 22位【第一生命ランキング

# 第24位 約47万人【明治安田生命ランキング2008

# 第23位 約48万人【明治安田生命ランキング2013

# 第23位 約48万人【明治安田生命ランキング2018

# 漢字一文字苗字ランキング: 2位

# 代表家紋

# 森氏: 鶴の丸紋。支流には「上野」「笠合(かさごう)」「戸田」などがある。【あなたの起源を読み解く 名字の世界 インデックス編集部 イースト新書Q】

# 神社の森の意。 「森」には「神」が住み、「」には「人」が住む。

# 森氏のルーツで一番有名なのは相模国の厚木付近(愛甲郡毛利荘)をルーツとした森氏で清和源氏で源義家の子の義隆が毛利に住んで森冠者と称したのが始まり。また、長州藩主毛利氏の発祥もここの毛利である。

# 森という姓は東北以外に広く分布し、特に東海地方四国地方九州地方に多い。

# 相模国愛甲郡毛利荘(神奈川県厚木市)をルーツとする森氏は清和源氏

# 土佐の森氏は土佐国土佐郡森(高知県土佐郡土佐町)をルーツとする。

# 蛇足だが、上記の「愛甲郡毛利荘」。愛甲と言えば、横浜高校からロッテに行った愛甲投手が有名であるが、その姓の由来もここなのだろうか?

# 森から派生した名字には、「上野」「笠合」「戸田」などがある。

# 二字佳名の詔で、森は毛利や毛里になった。

# 歴史的には織田信長の家臣の森可成(よしなり)がおり、三男は信長の小姓で有名な「森蘭丸」。美濃国葉栗郡の森可成は、土岐氏斎藤氏に仕えた後、1554年に信長に仕えた。その後美濃金山城主を務めたが、浅井・朝倉攻めからの退路の近江国大津の宇佐山城で戦死した。長可(ながよし)が跡を嗣いだが小牧長久手の合戦で戦死。六男の忠政が信濃国川中島13万石、そして1603年には美作国津山18万6千石。しかし、跡継ぎに恵まれず1697年に森家は断絶する。

# 神奈川県の森家: 相模国鎌倉郡大鋸町(神奈川県藤沢市大鋸)の旧家。大鋸で丸太から板を切り出す大鋸引の棟梁家。室町時代中期頃に遊行寺門前に移り住んだとみられ、以後代々遊行寺に属して造営や修造にあたった。戦国時代、四代正次は北条早雲に仕え、五代木工助も玉縄城の築城などに参加した。江戸時代には大鋸町の名主や藤沢宿の触口役(ふれくちやく)などを務めた。【出典

# 富山県の森家: 戦国時代に越中国砺波郡の刀利砦(富山県南砺市)に森氏がいた。

# 富山県の森家: 越中国新川郡上市村(富山県上市町)の旧家。代々山廻役を務めた。

# 富山県の森家: 富山市東岩瀬で四十物屋を号した廻船問屋

# 兵庫県の森家: 播磨国赤穂藩主。織田信長の側近の森蘭丸の弟の忠政の末裔。森忠政は信濃国川中島12万石を領し、江戸時代には美作国津山18万6500石。その後改易されたが備中国西江原2万石で再興し後に赤穂に転じた。【家紋:鶴の丸】明治維新後には子爵

・ 赤穂藩主。相模国愛甲郡毛利荘(神奈川県厚木市)発祥で清和源氏の出。源義家の六男(七男とも)義隆が森冠者を称したのが祖。可成は1564年に織田信長に従って美濃金山城(岐阜県可児市)城主となり、長男の長可(長一)・三男の蘭丸(成利)も共に信長の家臣になった。長可は長久手の戦いで戦死、弟の忠政は信濃川中島12万石を領し、1600年には関ヶ原の合戦では徳川家康に従って、戦後美作津山18万6500石に入封。1697年に衆利が将軍拝謁の道中の伊勢桑名で発狂し改易された。その後、隠居していた長継が改めて備中国西江原で2万石で再興を許され、1706年に長直が播磨赤穂2万石に転じた。明治時代には子爵。【出典

# 兵庫県の森家: 播磨国三日月藩主美作国津山藩主の森長継の四男の長俊が延宝4年(1676年)に美作国勝田郡の1万5千石を分知され立藩。後に播磨国佐用郡三日月に転じた。

・ 三日月藩(兵庫県佐用町)藩主。津山藩主の森長継の四男の長俊は、1676年に美作国勝田郡の新墾地1万5000石を分知され、1697年に播磨国佐用郡三日月に移って三日月藩を立藩した。明治時代には子爵。【出典

# 島根県の森家: 森鴎外。森鴎外の家紋

# 岡山県の森家: 津山藩主(岡山県津山市)。相模国をルーツとし、清和源氏の源義家の流れを引く。織田信長の家臣の森可成(よしなり)の子孫。

# 徳島県の森家: 徳島城下(徳島市)で島屋を号した藍の豪商。1600年に森庄左衛門が土佐国から阿波国小松島(徳島県小松島市)に移住。1662年に孫の安兵衛が分家、翌年阿波藍と肥料取扱いを始めたのが祖。1688年に徳島城下に進出、以後島屋を号した。幕末の六代目の六兵衛が事業を拡大、1853年には江戸に店を出した。その後は醤油の醸造も始め、1887年には宮内省御用達となった。【出典

# 長崎県の森家: 肥前国諫早(長崎県諫早市)の菓子の老舗。【出典

# 鹿児島県の森家: 薩摩国坊津(鹿児島県南さつま市)の豪商。

・ 薩摩国川辺郡坊津(鹿児島県南さつま市)の豪商。江戸時代中期に海産物問屋として創業。密貿易によって巨富を築いた。享保年間に、幕府の密貿易摘発で一時的に衰退したものの、間もなくカツオ漁の網元として復活。やがて、廻船問屋となり、1821年からはみずから鰹節を大坂・兵庫に運んで販売し巨利を得た。明治維新後には藩の支援を失って衰退した。【出典

# 戦国大名の森可成は河内源氏末裔で岐阜県羽島郡笠松町の出身。作家の森鴎外は島根県津和野市の出身。女優の森光子は京都府京都市の出身。政治家の森喜朗は石川県能美市の出身。歌手の森公美子は宮城県仙台市の出身。元日本テレビアナウンサーの森麻季埼玉県川口市の出身。

# 第二次安倍内閣の森まさこ(女性活力・子育て支援担当大臣)は福島県いわき市の出身。

【戦国大名家辞典 森岡浩 東京堂出版】より

# 岐阜県の森家: 美濃国国人相模国愛甲郡毛利荘(神奈川県厚木市)をルーツとし、清和源氏の出。源義家の六男の義隆が森冠者を称したのが祖。その後、各地に広がった。このうちの一族が美濃国に住んで守護土岐氏に仕えた。土岐氏が滅んだのちには斎藤道三に仕え、その後織田信長に従って森蘭丸などがでた。森長可の弟の忠政は信濃川中島12万石を領し、関ヶ原の戦いでは徳川家康に従って、美作津山18万6500石。後に播磨国赤穂藩主となる。

# 高知県の森家: 土佐国土佐郡の国人。室町時代に近江国から下向し、後に長宗我部氏に仕えた。

# 徳島県の森家: 阿波国板野郡の水軍。江戸時代にも徳島藩の水軍を率いた。

# 香川県の森家: 清和源氏の出で、源義家の六男の義隆の末裔という。貞治年間に細川氏に従って讃岐に移り住んだ。

■ 森【出典

# 古代の森は神聖な所で、森氏も神官系統が多い。

# 相模国愛甲郡森荘をルーツとする森氏は八幡太郎義家の子孫。義家の六男の義隆が森冠者を称し、その孫の頼定が森五郎を名乗って美濃に移った。信長の小姓の森蘭丸はこの系統。

# 近江国愛智(えち)郡森をルーツとする森氏は二流からなる。

・ 源満季の後裔で高屋景重の子の重家が森源太を称したもの。

・ 宇多源氏佐々木氏族で六角満綱の子孫。

# 紀伊国の森氏は名草郡の豪族忌部宿禰の末裔

# 豊後国玖珠郡森をルーツとする森氏は清和源氏

【一個人 2013年12月号】

# 森(22位)

・ 西日本に多くみられ、特に愛知県に多く、人口比岐阜県や四国、九州北部が多い。

・ 相模国愛甲郡毛利荘(神奈川県厚木市)をルーツとし、清和源氏の義家流。森氏は美濃国に転じ戦国時代には織田信長に仕た。

・ 阿波国の森氏は阿波水軍で江戸時代には徳島藩の家臣。

【苗字の謎が面白いほどわかる本 丹羽基二】

・  「森」の「もり」のルーツは朝鮮語?で「あたま」のことを意味する。それから転じて「かしら」となった。頭(かしら)は一族を守るから、「守る」→「もり」となった。

# 「森」の地名 ・ 「モリ」の資料集

# 森家

# 赤穂藩 ・ 三日月藩  

# 国衆(国人)

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